52才のときに79才の母親と84才の父親を相次いで亡くした経験を著書『親を送る』で綴った井上理津子さん(60才)と、昨年、祖母を亡くし、井上さんの本を読んで母の痛みの深さに気づかされたという北原みのりさん(45才)が、「親の死」について語り合った。
『親を送る』には、井上さんの母親が入院し、意識がなくなったとき、生命維持装置をいつ外すかの判断で、井上さんと義理の姉の意見が分かれた様子が生々しく綴られている。
薬の副作用で顔が腫れあがり、痛々しい姿になった母親を見て、早く楽にしてあげたいと願う井上さんと、アメリカにいる息子が帰国するまでは生かそうと主張する義姉。どちらが正しいとは判断できない、それぞれの思いが交錯する中で、母は義姉の息子が対面したあと、延命を止めて亡くなる。
北原:誰が親の死を決めるのかという問題と、どちらを選んでも後悔がつきまとうという、すごい残酷さがありますね。親と別れるときは、何を選んでも後悔しなきゃいけないという宿命があるんだなって。40代、50代の大人になってから親が亡くなるということは、自分にそういう判断の1つ1つが任される。とても怖いなと思いました。
井上:そうですね、どのみち後悔は絶対についてくるんですね。
北原:うちの母も、祖母が血液を全部入れ替える延命治療をするかしないかで悩んでいました。一度やれば1週間命が延びるという状況で、それを決めるのは酷なことに娘なんですよね。
井上:本人は意識がないから決められないわけですね。
北原:そのとき私は母に、「もしお母さんがこうなったら、私にどうしてほしい?」と聞きました。すると母は「もう逝かせてほしいと思う」と言うから、祖母もこれ以上の延命治療はしなくていいんじゃないかと私は言ったんです。残酷だけれど、あの時は、必要な会話だったと思います。
井上:本の医療監修をしてくれたドクターが、「死に瀕している人の半分は1秒でも長く生きようと思っている。あと半分は楽になりたいと思っているような気がする。自分がそうなったら長く生きたいと願う可能性もあるので、延命治療は不要とは書かない」と言っていて、へえーと思ってね。
自分がどう願うかなんて、そのときにならないとわからない。今までの経験値では計り知れないことを思うかもしれないと思いました。北原さんは、ご両親をいずれ見送る、そのときの話をする機会はありますか?
北原:いえ、しないですよ。しないですが、私の母はこの15年の間に私の父の両親を送り、昨年、母を送りました。ずうっと先頭に立って世話をして、介護して見送ってきたので、こんな思いは娘にはさせたくないと考えていると思うんです。