ひとり下山した右京を待っていたのは、世間からの冷ややかな目だった。心ない言葉に右京は傷ついた。誰よりも辛いのは、友を失った右京本人だったのに。
「自宅で絨毯に顔を押しつけて泣いて、ほとんど一歩も家から出られなくなった。電車で酔っ払いから『人殺し、人前に出てくるな』といわれたこともありました。ノイローゼになり、うつにもなったけど、一方で、段ボール箱いっぱいの手紙と何万通ものメールが届いた。頑張れといってくれる人もたくさんいたんです。片山右京が片山右京でいられるのは、応援してくれる人と友への愛と懺悔の日々があるからなんです」
事故から6年たったいま、右京はこう思っている。
「道は後ろにはない。どんなことがあっても、前に進むしかない。どんなに辛いことがあったって、受け入れて、前に建設的に向かって行くしかないんです。友との約束でもあるから、僕はもう一回ちゃんとヴィンソン・マシフに挑戦したい。それは自分勝手な禊ぎ事なのかもしれませんが」
いま右京が願うのは、その禊ぎのためにも、まずは自転車の世界で結果を残すことだ。ツール・ド・フランス出場という目標に到達したのち、再び本格的に8000m級への無酸素登山挑戦を始めるつもりだ。それが亡くした友への右京の答えでもある。
道は遠いが自信はある。(【後編】に続く)
◆かたやま・うきょう/1963年生まれ。神奈川県相模原市出身。1992年から日本人3人目のレギュラードライバーとしてF1参戦。F1引退後は、ル・マン24時間レース、ダカールラリーなどでも活躍した。現在は自転車ロードレースとモータースポーツに参戦する「チーム右京」を率いている
撮影■中村博之 取材・文■一志治夫
※週刊ポスト2015年12月25日号