呉:そういう自分だけが持ってる筋違いの理想論で、筋違いの批判をするヤツって、やっぱり多いよね。
中川:そうなんですよ。それで、ベッキーが可哀想だという連中がスクラム組むんですね。そうなると、周りがみんな同じ意見なので、世間もみんな同じだと錯覚して、「お前がいっているのは超マイナー意見だ」と噛みついてくる。これがネットの恐ろしいところ。
呉:そうだろうな。中川君も『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)で書いていたけど、みんなネットは素晴らしいというが、じゃあ、従来の言説を超える新しい文化が生まれるかといったら、とんでもない間違いなんだよ。
たとえば、新聞投書ってホントにしょうもないものも載るけど、それでも最低限、掲載のハードルがある。雑誌の記事や単行本で出すには、さらにいくつものハードルを越えなきゃならない。だけど、ネットでは誰もが生の意見をそのまま出して、みんなの目に触れてしまう。
中川:そこなんです。
呉:これは大衆社会と連動しているわけですよ。だから、言論界にいる知識人は、それに対してなかなか批判をしないんだよね。
中川:みんなが自由に意見をいえる社会は素晴らしいという左翼的な文脈だと。
呉:だから、批判しにくい。
中川:それで、お前の意見は世間さまに見せる価値があるのか? って意見すると、「選民思想だ」って叩かれるんですよ。みんなが自由闊達に意見をいえて、そこで議論が生まれ、よりよい社会になるんだと。多様な意見を知ることは大事だという反論に負けちゃうんです。
呉:大衆は素晴らしい、すべての人に発言権があるという論理。これは、すべての人に価値があるという論理と同じだから、みんな批判できない。それで自縄自縛に陥っているんだよね。
※週刊ポスト2016年2月5日号