韓流ブームは去り、活力が失われた新大久保
そしてこのタイミングで、救世主「ヨン様」ブームが巻き起こり、まずは中高年女性の新大久保詣でが始まる。続いて東方神起やKARAが登場し、コリアンタウンの顧客層は若者にも広がった。
これと同じ時期、ウォン高を追い風に日本への留学生も増えた。従来の韓国料理店の厨房を預かっていたのは密航でやってきたアジュンマ(オバサン)たちで、「手作りの味」が売りだった。それが2000年代中盤からは、東京の有名料理学校に留学した若者たちに交代。料理は若い女性向けにアレンジされた。
東日本大震災の前、ブームの絶頂時には路面店のテナント料が銀座並みに高騰していた。権氏によれば、「カバンに札束を詰め、『店の権利を譲ってくれ』と交渉して歩く中国人もいた」という。
2012年8月、当時の李明博大統領が「独島(竹島)上陸」を強行。ブームに水を差されるが、このときはまだ、新大久保の商売人たちは「今はガマンの時」と気丈だった。しかし、ヘイトスピーチの猛威は、街の活力を確実に奪った。いまも週末には満席になる店が少なくないが、客足以外の部分にも影響は出ている。
「デモに暴れられたのは痛かったが、メディアの影響も大きい。殺伐とした空気を嫌って留学生が減り、人材の供給が細った。担い手がいなければ、賑わいを取り戻すのは難しい」(飲食店経営者)
果たして、この街を復活させる「次なるきっかけ」は訪れるのだろうか。
文■李策
写真■権徹
※SAPIO2016年3月号