でも、子供たちは容赦しない。全国一斉に洗脳教育みたいなことをして、と道徳の教科化を批判する人たちは言うけれど、子供の心を大人が思い通りに動かせると思ったら大間違いである。
小学校高学年をナメちゃいけない。その過半がユーチューバ―のエログロナンセンス動画を楽しみ、LINEをはじめとするアプリで裏コミュニケーションに勤しんでいる昨今だ。
「江戸しぐさ」がインチキであることぐらい、検索一発で丸わかりである。道徳の時間に「江戸しぐさってトンデモなんですよね!」とツッコんで先生を困らせたい子供はクラスに1人いて当然、くらいに考えたほうがいい。
傘をさした人同士が狭い道ですれ違うときに、相手を濡らさないよう互いの傘を傾けることを「かさかしげ」と言うそうだが、いたずら坊主の太郎君は雨降りの通学路でちっともかさかしげをしていない先生たちの様子を、しっかり映像記憶しているはずだ。先生が口先だけのモラリストかどうかをチェックするために。
知らない人であっても、困っている人がいたら声をかけて手を差し延べることを「差し延べしぐさ」と言うそうだが、みんなから誤解されて本当に困っている二郎君の気持ちも知らないで、被害者ぶりっこしてわめいている花子さんの味方ばかりしている先生の態度を、いたずら坊主だけれども不公平がなにより嫌いな太郎君は見届けている。いざというときに先生が頼るに値する大人かどうか判断するために。
誰も見ていなくても誰かのためになることをする心構えを「おつとめしぐさ」と言うそうだが、リアリストの太郎君はそうした説教をする先生ほど他のもっと弱い先生につらく当たっていることを知っている。生きた教材から人間社会の不条理を学びとるかのように。
まだ小学生なのにひねくれ過ぎだと思うなら勝手にそう決めつけるがいい。私は、そのくらい“自分を持っている”子供のほうが好きだし、子供たちの中で一目置かれるのもそういうタイプだと思っている。だから、先生がぜんぜんそんなこと信じちゃいないのに、「江戸しぐさに学ぼう」だなんて真顔で授業を始めたら、まともな子供たちは一斉にしらけて当然だと考える。ただでさえ、地に堕ちた公教育という権威がますます失墜するだけだ、と小学校の先生方を気の毒に思う。
日本の公教育は、世の中の流れから遠く置いて行かれてしまっている。私は頭が良くて世の中の役に立ちたいという気持ちの強い人が多い中央省庁に対する安易な批判をしたくない者だが、「江戸しぐさ」の愚かさにいまだ気づけない文部科学省の官僚については、「偏差値バカ」と罵倒する。