◆「手術はたった五分で終わる」との認識が広がっているけれど◆
今になると少し軽率だったかと思う。私の期待と手術の結果との間には、ある種の「ズレ」が存在した。これまで使って慣れ親しんでいた自然のレンズを人工のものに取り換えるのだから、当然といえば当然だ。
さらに人工のレンズが入ったために視力は当然のように異質のものとなる。見える見えないのレベルではなく、見え方が変わるのである。その変化に頭の中がついていけなくなり混乱、動揺、不安などを強く意識した。
でも、そうした部分はあまり語られず、はなはだしい場合は「たった五分で終わる白内障手術」といった紹介のされ方をする。失敗のない手術が白内障だという認識が日本中に広くいきわたっている。
私もそう思い込んでいた。何しろ『後妻白書』を書き終わったばかりである。女性が女性でいられる時間が近年になって飛躍的に延びた。六十代や七十代でも恋をして再婚をする時代が到来している。そうなると桃子さんの言葉ではないが、身体のパーツを取り替えるのは、もはや常識だろう。
ところが「落とし穴」があった。実際に手術を受けてみると、そんなに簡単なものではなかった。いったい何が問題だったのか。
私は三月十八日に左、二十五日に右の眼の手術を受けた。クリニックは驚くほどモダンで最新の機械が装備されている。受付も若い美女が並んでいて、敬語での対応だ。手術に関する説明は、男性のスタッフが流れるような口調で明快に語ってくれる。さかんにうなずいている私は、すっかりすべてがわかったような気分になった。
これが曲者なのだ。だって、たった一回の説明で、すでに老化し始めている私の脳が、手術の手順からメリット、デメリット、その後の治療などを理解できるはずがない。私が情報として消化したのは、手術そのものに要する時間は二十分か三十分くらいであるが、その前後も含めて二時間半ほど予定しておいて欲しいということ。
入院する必要はない。術後は帰宅して安静にしていなければならないが、翌朝になったらまたクリニックで検診してもらい、眼帯が外れてもう眼は見える。すぐに視力は回復しないが、人によっては、その瞬間から良くなっていると実感する患者もいる。
ざっと記すと、これくらいの情報しか私の頭には入らなかった。
私は異常に緊張していたらしく、手術中は何度も「力を抜いて」と医師に声を掛けられた。どのくらいの時間がかかったかは知らない。だが、とにかく長く感じられ、終わったときは意識が途切れそうなほど疲れていた。「あっという間に終わるってみんなが言ったのに」と腹立たしさを感じた。
さらに、私の両眼は裸眼で〇・〇六の視力しかない。それで左眼に眼帯をつけて、眼鏡をかけられなかったら、何も見えない。手術室を出て、受付まで歩くのも怖かった。
(第二回に続く)
※女性セブン2016年5月5日号