毛沢東の歴史的評価は、中国では、一応確定したものになっている。それは「功績は過ちをしのぐ(功大於過)」という言葉に尽きる。1981年の歴史決議「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」は、毛沢東の晩年の過ちを厳しく批判しながら、その歴史的功績を高く評価し、「中国革命における功績は、過ちをはるかにしのぐ」と結論づけている。
上海の広場に掲げる毛沢東の肖像画を20年も描き続けた老画家に取材したことがある。その老画家に、あえて尋ねてみた。「毛沢東という人物は、中国にも害悪を及ぼした人です。そんな人を描き続ける気持ちはどうなのでしょうか」。意地悪な私の質問に、老画家は生真面目にこんな話をした。
「私でも、毛主席が文化大革命で失敗したことは知っている。私の親だって、大変な目に遭った。しかし、それでも毛主席がいなければ、いまの中国がないことは間違いない。中国の恩人なのです。だから、私は毛主席を描くことに誇りを感じこそすれ、恥ずかしいと思ったことは一度もない」
決然とした言い方に、思わず、背筋が伸びる思いがした。そして、確信した。毛沢東は、いまだ、死んでいないのだ、と。
毛沢東の歴史評価がどうかという問題ではなく、「毛主席」という呼称がまるで、人々の心を縛り付ける魔法のような言葉としていまも中国で生きていると感じたからだ。もはや毛沢東は現代社会の政治家ではなく、「毛主席」という一種の歴史的記号なのである。
●のじま・つよし/1968年生まれ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。1992年朝日新聞社に入社。シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月よりフリーに。主な著書に『ふたつの故宮博物院』『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』など。
※SAPIO2016年6月号