読み手によっては反発を招きそうなのが、著者が1章をさいて解説した沖縄の高校野球に関してである。著者は沖縄野球の歴史から入り、現在のように強豪県になったことを、「本土化」と呼ぶ。優秀な指導者が本土で研鑽を積み、それが沖縄県に還元されたという意味である。そこから、
《しかし、それが果たして沖縄の目指すべきものといえるだろうか》
と、著者は問いを立てる。
《沖縄に限らず地方について語るときすべてに共通する疑問は、“本土(東京)スタンダード”を念頭に努力することが本当に地方の活性化につながるのかという点だ》
「本土化」が進めば、身体能力の高い沖縄の高校生たちは本土の特待生を目指すようになる。なぜなら「本土化」は本土で実行するのがもっとも効率が良いからだ。
《この現象は、新幹線が通っている地方の駅に降り立ったとき、駅前に“ミニ東京”ができているのと同じである。所詮は実態のない見せかけの都市であって、少し奥に入れば空き地やシャッター通りが広がる。なぜか。それは“東京スタンダード”を目指すなら、東京に出て行くのが最も効率的だからである》
そして沖縄の優位性から、沖縄の高校がアジアに向けた高校野球の発信基地となることを期待するのである。
これには、強くなってなにが悪い、強さの効率を求めると型が似てくるのは仕方ないではないか、という反発もあるだろう。
だが私も実は、「本土化」した沖縄野球に一抹の寂しさを感じたひとりである。呆れるほど高い身体能力を持ちながら、どこかもろさもある。まるで野犬の群れのような沖縄野球、この本でも紹介されている2006年の八重山商工のような野球スタイルが懐かしくなるときがある。
著者の見解全てに同意する必要は無く、むしろ「それはどうかな」と反発することが、深く考えるきっかけになる。
最終章で著者は高校野球を成立させている4要件を提示する。それはこれからの読者のために明かさないが、興味深く、納得できるものだった。頭で読む野球本である。