それは昨年7月2日、午後3時50分頃のこと。その日キーボーは、朝から家事などに忙しく、疲れ果てて、居間のソファで寝ていた。すると、父が家庭用のモップを持って、部屋の掃除を始めたのだった。
「あの日、四郎さんが大掃除をしていたんですけど、娘が“やかましいからやめてくれ”と言ったんです。でもその時夫は、何か物を取ろうとしていて、(モップを)こうして振り上げたものですからね、それが娘の顔に当たって、血が出てしまったの」(晴子さん)
当時を振り返ったインタビューのなかで、キーボーは母についてこう語っていた。
《見境がなくなってしまった父が怖いのか、仲裁に入るのが面倒なのかわかりませんが、いつも見て見ぬふりをします…家族の危機に「われ関せず」の態度をとる母。私は母に、怒りを通り越して、ほとほとあきれ果てています》
その話をすると、晴子さんは深いため息をこぼした。
「見て見ぬふりというか…。(夫と娘が)ワーワーしているものですから、私はこういう足だからすぐに動けませんし、でもふたりのところに行ったんですよ。娘が顔から血を流しているので拭いてあげようと思ってね。そうしたら、“拭いちゃいけない”というのよ、娘が。“警察に言うんだから”って。それで娘が警察に通報して、それで四郎さんが連れて行かれて、私はどうすればいいかわからなくて、おたおたしちゃって…。勾留中、面会に行くと、四郎さん、ニコニコ喜んでるの。何もわからないで警察に連れて行かれてね…もう…なんか…」(晴子さん)
そう語ると、晴子さんの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。実は親子げんかで警察沙汰になったのはこのときが5度目だった。7年前に認知症を発症した父のたび重なる暴力に、キーボーは何度か警察に助けを求めたが、そのたびに警察は「民事不介入」ということで求めに応じなかった。
よほどつらく、苦しかったのだろう、キーボーにしてみれば、この「流血」は、ようやく警察沙汰にし、父の暴力から逃れるための絶好の機会だったのだ。四郎さんは10日間勾留された後、留置場から出てきたが、キーボーは身元引受人を拒否した。
「また同じ生活が始まるのは、もう無理」「時折、要介護の父母を、子供が殺害する事件が起きていますよね? あの気持ち、私はよくわかります。本当に絶望的な気持ちになりますので」
当時の思いをキーボーはそう語っていた。そんな彼女に代わって、父の身元引受人になった弟は「家族を留置場に入れることはないだろう!」と大激怒。以来、キーボーは実家で一人暮らし、両親は息子宅で暮らすこととなり、半ば絶縁状態となっていたのだ。
※女性セブン2016年8月18・25日号