脚本家のジェームス三木氏(81)は「そもそも『スマホ』という言葉に腹が立つ」と憤る。
「年寄りに『スマホ』『地デジ』などのカタカナ言葉で意味が伝わりますか? かつての日本人は、海外から便利な製品が入ってくると、日本語でうまく表現する方法を見出した。『サーモス』を『魔法瓶』、『ファウンテンペン』を『万年筆』というように、商品の特徴を誰でもわかる日本語で言い換える智恵があった」
現代の日本人や日本社会の歪みを憂いた点に共感する声が多いなか、違った切り口から同書を読み解いたのは69歳のノンフィクション作家・佐野眞一氏だ。88歳で他界した黒澤明監督のメッセージを引き合いに出しつつ、こう語る。
「黒澤明の晩年の作品『夢』に、99歳のお婆さんの葬列が、賑やかな祭り囃子を奏でながら進むシーンがあります。怪訝そうな顔をする若い旅人に、105歳の村長らしき老人が『葬式は不吉なもんだと思っている者もいるようだが、よく生きて死んだのだから、めでたい』と答え、自ら鈴を鳴らしながら葬列の先頭に立つ」
長生きに対する考え方は、「何がめでたい」と怒りを顕わにする佐藤氏とは対照的である。佐野氏が続ける。
「『九十歳。何がめでたい』と怒る女流作家もいれば、自殺未遂経験者にもかかわらず『葬式はめでたい』と達観できる映画監督もいる。どちらの境地に達するかは、読む側、観る側の勝手です。2人からの“遺言”の真意はそこにあるのだと思います」
人生は結局は自分で考え、自分で選ぶしかない。もし佐藤氏に聞こうものなら、〈いちいちうるせえ〉と叱られることだろう。
※週刊ポスト2016年10月28日号