【書評】『ちちんぷいぷい』松山巖・著/中央公論新社/1900円+税
【評者】嵐山光三郎(作家)
よくもまあ、こんなに愉快で哀しくて、都市の孤独と、愛と生と死の短編小説を五十篇も書いたもんだぜ、マッタク。と評してしまうのは、この小説がすべて話し言葉で書かれているからだ。
表題となった「ちちんぷいぷい」は第十話で、三十年前に行方不明になった妹に会うと、薄紫の着物姿の神様だった。泣き虫の妹はよく転んで泣いて、姉の私は、ちちんぷいぷいといって、妹の痛がる所に右手をかざして、痛いの痛いの飛んで行けっ、とおまじないをしてやった。神様となった妹は手をゆらゆらと揺る。
軽妙な語り口で、人間奇譚を楽しみながら書いていき、筋書きだけを書き出して、ポンと差し出す手並みはさすがマツヤマワールドである。濃度が高い。ここだけの話にして下さい、という「果たし合い」。波瀾ぶくみの「狭い箱」は、会社のセクハラが連鎖していく「藪の中」で、最後は自分の娘までかかわってしまうホラー小説。セクハラってのは本当のところはなんなんでしょうかねえ。
泣かせる「風鈴」は、死んだ夫が出張さきの古道具屋で買ってきた江戸切子の風鈴の話で、紐で吊るした舌(ゼツ)もガラスでできている。雪の朝、アパートの窓の庇にツララがいくつも下がり、吸い取られるような静けさのなかでツララからもちりんちりんと音が共鳴する。陽が射してツララが溶け始めると、水滴が落ちる音まで聴こえてくる。冬の風鈴の詩情を静かに書き切った傑作。
屋上で、書類をちぎっては燃やすことを楽しみとする定年後の嘱託の男。高校二年の夏休み、自宅の郵便受けに「アホー、バカが!」とクレヨンで書かれた手紙が入っていた。二通目は「イキテルナ!バカモン!」。五通の手紙の最初の文字だけを読むと、アイシテルで、最後の文字だけを読むと、ガンバレヨ、となる。
面白くて怖くて読みだすと止まらない。御本人が描いた挿画が効果的で、この世の無常も、死ぬことも、文庫本にはさまれた薊(あざみ)の押し花も肩を寄せあっている。
※週刊ポスト2016年11月4日号