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【著者に訊け】吉田修一氏 『犯罪小説集』

◆誰しも大したことなんて考えてない

 地味で冴えなかった中学の同級生〈石井ゆう子〉が、60代の夫に保険をかけて、若い情夫に殺させた事件に衝撃を受ける「曼珠姫午睡」の〈英里子〉は、弁護士の夫と大学生の息子と暮らす48歳の主婦。ネットで情報を漁るだけでは飽き足らず、ゆう子がスナックを営んでいたM市の歓楽街を訪れた彼女は、店の奥で誰とでも関係を持ったというゆう子を軽蔑する一方、久々に欲望を刺激されてもいた。

 中でも思い出すのが彼女とテニスをした時のことだ。何をやってもドン臭いゆう子は〈ドタドタドタ、ブン。ドタドタドタ、ブン〉と、英里子の打球に必死で食らいつき、しかも打つたびに〈「アンッ」とか、「ウンッ」〉と漏らす声が不気味だった。あの時、ゆう子を冷やかす男子は彼女に欲情していたようにも思え、そんな一見滑稽でおぞましいシーンを、さらっと書く作家こそ怖い。

「ここは僕自身、虚構に過ぎない英里子たちが確実に存在すると初めて実感できたシーンで、そうなると人を殺す時は殺すし、思い留まる時は留まる。作者の出る幕はないんです。

 5文字に仮名をあてた各話の章題は歌舞伎の演目を意識しました。とかく小難しく考えがちな歌舞伎も、元々はごくありふれた情念や軋轢を物語化していて、たった数万円のために強盗殺人犯に転落した『白球白蛇伝』の元プロ野球選手だって、全然特別じゃないと僕は思います」

 限界集落で孤立した男が村人6人を惨殺した第4話『万屋善次郎』の悲劇も、元は町の長老〈伊作〉との諍いが原因だった。それも村興しを巡る些細な衝突や勘違いが〈言葉にしてみると〉かえって固定してしまうことが亀裂を決定的にし、幾重にも重なったY字路の悪戯に、つい〈なんで?〉と、思わずにはいられない。

「本当にそう思います。僕だって一つ間違えばそっち側に堕ちていてもおかしくなかったし、人間誰しも大したことなんて考えてないんですよ。その特に考えもない言動が事態を右へも左へも転がすし、どんな犯罪も動機は何かと問われれば、そこに人がいるからとしか言いようがないんです」

 つまり人間が人間である限り、犯罪はどこにも起きうる。そして犬も猫も犯さない罪を人間だけが犯すからこそ、吉田氏はこの日本地図を書き続けるのだろう。

【プロフィール】よしだ・しゅういち/1968年長崎県生まれ。法政大学経営学部卒。1997年『最後の息子』で第84回文學界新人賞を受賞しデビュー。2002年には『パレード』で山本周五郎賞、『パーク・ライフ』で芥川賞をジャンルを超えて受賞した他、2007年『悪人』で毎日出版文化賞と大佛次郎賞、2010年『横道世之介』で柴田錬三郎賞。著書は他に『さよなら渓谷』『太陽は動かない』『路(ルウ)』『怒り』『森は知っている』『橋を渡る』等。映画化作品も多数。174cm、68kg、O型。

■構成/橋本紀子 ■撮影/国府田利光

※週刊ポスト2016年12月2日号

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