ソ連:おー。サッポロビールおいしい。
レポ船主:よければコーラあります。肉でもたかせますか? (中略)
レポ船主:ところで、この間の約束の話ですけど、単冠(ひとかっぷ)付近で操業してますが、カニの漁が無いので国後の方の海を使わせてもらいたい…。
ソ連:警備兵たちに聞いてから…。あとで彼と話してくれ…。
ソ連のお墨付きを得て四島周辺で漁をすれば、10倍の漁獲量になったという。
最盛期の1970年代には数十隻ものレポ船主の中から、元警察官ながら10隻もの元締となり、さらにはそれを元手にキャバレー経営にも乗り出した「北海の大統領」こと石本登のように巨額の稼ぎを手にする者も現れた。
根室中心部からやや外れた住宅街に自宅があるAもその1人だ。家人に聞くと、すでに5年前に亡くなったという。
1980年にこのAの自宅を関税法違反で家宅捜索した根室署の捜査員らは驚くべきものを発見する。国内の右翼の動向を調べた公安調査庁の内部資料が出てきたのである。取り調べにAは資料を旭川公安調査局の課長からもらったと供述。課長は地検に呼ばれ事情を聞かれたが、二日後に自殺した。ソ連側の情報を得る見返りにAに内部資料を提供していたのであろう。
Aはこうした一級資料を、さらにソ連と取引することで日ソ秘密情報の仲介人として暗躍していたと地元では囁かれている。
1970年代後半になると、レポ船を押しのけるようにして「特攻船」が現れる。高出力の船外機を三基も四基も並べ、馬力は1000馬力にも達した。燃料は一般の漁船が用いる重油ではなくガソリン。四島周辺で密漁を行い、ソ連の警備隊の船が近づけば、全速力で国境の海を疾走して逃げた。
だが、栄華を誇ったレポ船や特攻船は、海保とソ連の国境警備隊が合同で取り締まりを強化したことで、1990年頃を境にぱたりと姿を消す。
●たけなか・あきひろ/1973年山口県生まれ。北海道大学卒業。在ウズベキスタン日本大使館専門調査員、NHK記者、週刊文春記者などを経てフリーに。
※SAPIO2016年12月号