10月、沖縄県東村高江周辺の米軍北部訓練場内のヘリパッド建設に抗議する人々に対し、大阪府警機動隊員が「土人」や「シナ人」と発言してから1か月以上が過ぎたが、波紋は今もおさまらない。そもそも「土人」という言葉は差別語なのかについて論じた評論家の呉智英氏が、差別を認めることが果たして差別を減じることにつながっているのかについて論じる。
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沖縄で機動隊員が口走った「土人」「支那人」問題は予想以上に根が深い。ここで根が深いというのは、日本人の差別意識には根深いものがあるという意味ではない。日本人の差別意識については別途考察するとして、今回感じるのは、ジャーナリズムに代表される知識人世界が俗論に深く侵蝕されているという現実だ。
11月8日朝日新聞のWEB RONZAに三島憲一が「土人、シナ人…復活する差別語・侮蔑語」を執筆している。プリントを取り寄せて一読したが、とてもニーチェ学者が書くものとは思えない。
ニーチェはしばしば誤解されているけれど、反ユダヤ主義者ではない。19世紀末ドイツに広がる反ユダヤ主義を明確に批判し、反ユダヤ主義的俗物の傾向のあったワーグナーと決別もしている。ニーチェが「畜群」と罵ったのは、中途半端に豊かになり中途半端に知恵をつけた「衆愚」の隠喩だと解した方が分かりやすい。だからこそ、没後一世紀以上経て今なおニーチェは有効なのだ。いや、専門家には釈迦に説法だった。
三島は俗論をそのまま信じているが、そもそも「土人」も「支那人」も差別語ではない。土人を差別する言葉も支那人を差別する言葉も別にある。あまりにも下品・低劣な言葉で、日本を代表する高級誌「ポスト」にふさわしくないから、私は書かないだけだ。件の機動隊員やネット右翼は、下品な上に無知だから、かえってそういった差別語を知らないのだろう。しかし台湾の支那人は本土の支那人をそうした差別語で呼ぶ。