一巻「信長と戦国興亡編」では、知多・薩摩・能登・沼隈・伊豆・志摩の6半島を収録。安部氏の紀行文と藤田氏の解説、西氏の挿画で構成された贅沢な1冊だ。
まず知多半島(愛知)へは鳥羽からフェリーで渡り、師崎港に上陸。船は案外に揺れたが、近いことは近い。
「かつて物や情報が集まった先進地は、今や陸路では行きにくい陸の孤島も多い。だからこそ歴史の宝庫だったりもします。便利か不便かという価値観は不変ではない。現地を歩けばこそ得られた実感の一つです」
知多水軍ゆかりの寺では大坂の陣の戦利品と伝わる「洛中洛外図屏風」に見入り、源頼朝が建てた父義朝の墓前では知多から海路で東上する道中に謀殺された義朝の無念に思いを馳せた。
その平安末期から焼かれていた常滑焼の壺のくだりも面白い。この直径1メートルもある武骨な壺を撫でながら、〈あらゆるものが保存できるようになったのですからね。まさに革命的ですよ〉と藤田氏が言うと、〈何だか珠洲焼(すずやき)に似ていますね〉と能登半島・珠洲出身の西氏。
実際、この壺は日本各地で水や薬品類の保存に使われ、〈北の珠洲、南の常滑〉で焼かれたのも積出港に近いから。〈ところが江戸幕府が商業や流通業を不当に低く評価したために、こうした流通、海運に対する視点と史観が失われたのである〉
「常滑は太平洋側、珠洲は日本海側の中継拠点港で、航海中は生活用水を入れた壺を船の底荷〈バラスト〉にする一方、港々で商品にもしたらしい。我々は物が人々の動線を変え、地勢が生業を決める光景に興奮しきりでね。それこそ日本の戦国史が間違っているのは江戸の鎖国史観ゆえで、実際は大航海時代の海を通じた交易が、戦国の世をもたらすんです。
南蛮貿易開始以来、日本は高度経済成長を迎え、新たな市場開拓を常とする重商主義の行き着いた先が朝鮮出兵だった。その反省から江戸幕府は国を閉じ、平和こそ保ちますが、海や山と大らかに切り結ぶ歴史まで歪めてしまった。今回お世話になった郷土史家やガイドの方々の郷土愛にしても、自然を自分と感じ、自分も自然の一部だという日本古来の世界観が根底にあって、その復元と復活が、僕が小説家として長年取り組む、最大の課題なんです」