◆視点や史観次第で無尽に姿を変える
一方、歴史学者・藤田氏も熱い。白眉は沼隈半島の〈鞆(とも)幕府〉だ。一般に室町幕府は15代将軍・足利義昭が京を追われた元亀4年に滅んだとされるが、〈どっこい、義昭は生きていた〉〈天正四年に毛利輝元の庇護を受けて鞆の浦に居を構えたのである〉。
「自らを将軍、輝元を副将軍に瀬戸内海海運を掌握し、西国支配を狙った亡命政権説を、藤田先生は20年前から提唱されている。義昭敗走=室町滅亡は御都合主義的な歴史の嘘とも言えます。実際は足利と織田の両立体制が続いたと考えなければ、本能寺も見えてはこない」
同地に残る痕跡から義昭の野望を推理する藤田氏は、解説編でも義昭が本能寺の変にどう関わったのか、石谷家文書や長宗我部元親の書状等を紐解いて丹念に分析。ことに信長の〈四国政策の転換〉が光秀―元親ラインと秀吉―三好ラインに溝を生み、暗殺へと繋がる過程を熱く綴る。
「つまり本能寺の変は光秀の私怨などではなく、信長の四国政策が原因(四国説)で、裏で糸を引いた黒幕が鞆の義昭だった。最近では義昭が変の後、毛利に上洛戦を命じた御内書まで出てきたというから、驚きです。僕もその新しい義昭像をぜひ書いてみたいと思ったし、歴史が視点や史観次第で無尽に姿を変える以上、我々小説家の仕事も決して尽きることはありません」
街道と半島、陸と海など、一方に偏りがちな歴史観を私たち日本人が乗り越えるために、よく歩き、よく呑み語らう彼らの珍道中は今後も続く。
「地の酒や食も大事な文化ですから。たとえ下戸でも呑むべし、ってね(笑い)」
【プロフィール】あべ・りゅうたろう:1955年福岡県生まれ。国立久留米高専卒。大田区役所、図書館勤務を経て1990年『血の日本史』でデビュー。2004年『天馬、翔ける』で中山義秀文学賞、2013年『等伯』で第148回直木賞。著書に『関ヶ原連判状』『信長燃ゆ』『道誉と正成』『五峰の鷹』『姫神』『義貞の旗』等。現在も『サライ』で続く連載では地元の人だけが知るおいしいものの情報も満載。「地酒も魚も実にうまくてね。体重は当然増えました(笑い)」。164cm、74kg、O型。
■構成/橋本紀子 ■撮影/国府田利光
※週刊ポスト2017年1月13・20日号