う、うん。言わんとすることはわかる。わかる。けれど、えっ! えっ!? ノーマって50才だったの!? 私はてっきりもう少しお姉さまの70才か80才くらいだと思っていた…(驚愕)。
この作品は1950年代に作られたのですが、そのころの50才は、そういう感じだったのでしょうねぇ。幕が下りたあと、軽く薄ら笑いを浮かべて私、放心してました。
追い打ちをかけたのは、宝塚の下級生の卒業公演『NOBUNAGA〈信長〉-下天の夢-』。冒頭で、またまたお能のような(幸若舞)語り口で、「人生50年~~~~(トトトトトンッ!!)」と、鼓と笛が私を攻めるんだこれが…。
そうか、信長の生きた時代だったら私、もう死ぬ年なんだ。平成の世だから、医療や食べ物のおかげで、私生きてると…つまりは、そういう年齢なんですね~。確かに、気を抜いているときはすごいことになってる。
温泉に行ったときにすっぴんで浴衣で撮った写真を見れば、「エッ! お母さんとそっくり」と認めざるをえない写り…銀座に買い物に行って四丁目の和光の湾曲したショーウインドーに「誰? あの疲れた人?」と思った矢先…! 知らない自分に出会ったり。
気合が入っているときと、気合を抜いたときの差がどんどん顕著になっている。こんな状態で毎朝テレビに出てるけど、もしかして画面右上にある小窓(ワイプ)に映った私って、遺影に見えてるんじゃないかと思ってみたり…。
ショックと笑いの間で生きてる今日この頃です。そう、でもなんか受け入れてる、心のどこかで笑いに変換しながら。こんな私、つい数年前までは居なかったなぁ、本心でそう思う。 だってあと7年経てば、赤いちゃんちゃんこですよ。そこまできたら「私、還暦ですから!」と堂々真っ赤なドレスでも着ようかな。うん、この調子なら私、楽しめそう(笑い)。
『サンセット大通り』のセリフが頭をよぎる。
50は悲劇じゃない…。
確かに受け入れてみれば悲劇なんかじゃない。もしかしたら上質の喜劇であると付け加えたい。経験という極上の武器とウイットに富んだ喜劇だと。
撮影■渡辺達生
※女性セブン2017年1月26日号