竹原ピストルの原点は、年間200本以上のライブ活動を7年間やったことです。そのライブ活動で、出会った人々や体験がすべて曲に活かされ、強烈なメッセージになっています。「誰かを俺を見つけてくれ」と、いつも心の中で叫んでいたそうです。そんな逆境から脱却し、見事に開花した竹原ピストル。歌と俳優、今後どっちで頭角を現すか、大いに注目です。とりあえず、2017年の紅白歌合戦には出てもらわないとですね。
◆外国映画ベスト・テン4位『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』
これは、名作『ローマの休日』の脚本家だったダルトン・トランボの自伝的映画です。『ローマの休日』(1953年)が封切りされたころ、原案・脚本の欄には別の名前がクレジットされていました。つまりトランボは友人の脚本家の名前を使って作品を提供し、アカデミー原案賞を受賞したのです。
なんでトランボは、偽名で書いたのか? それはトランボが、共産主義者に加担している嫌疑で投獄されたからです。そんな弾圧を受けたトランボが、いかにして名誉を回復したかが、この映画のテーマです。
1950年代、アメリカに吹き荒れた「マッカーシズム」は、共産主義者やその賛同者に対して、ヒステリックに攻撃し、失職させ、果ては投獄に追い込んだのです。
時代の雰囲気を感じた巨匠ウィリアム・ワイラーは、海外ロケをして自由な気風で『ローマの休日』を作ろうと試みます。トランボは原作から参加しますが、封切り時には赤狩りにあい、偽名での参加に。
トランボは、議会の公聴会で宣誓拒否をして投獄されますが、どうやって名誉を回復したか? それは生きるため、家族を養うために、B級映画の脚本を、安いギャランティーで、しかも偽名で書きまくったのです。トランボの書いたB級映画のなかで『黒い牡牛』が、アカデミー原案賞を受賞。人生2度目の、偽名でオスカーを得ることとなります。
偽名でも才能は溢れ出ます。評判を呼び、カーク・ダグラスが、映画『スパルタカス』に主演するとき、脚本をトランボに、実名クレジットの条件で依頼します。その後、反対勢力とバトルもありますが、次第に赤狩りの勢いも下火になり、ようやくトランボは名誉を回復できたのです。
トランボが言いたかったことは「人生を絶対に諦めないこと」、これに尽きます。
いろいろと、やる気を起こさせてくれる映画って、人生の応援歌みたいなものです、実に素晴らしいですね。