しかし、ことはそう単純でもない。大日本帝国時代の大阪は、けっこうりっぱな文化施設をもうけている。と言っても、自治体の力がそれらをみのらせたわけでは、かならずしもない。住友をはじめとする大阪の財界、経済人たちがパトロンとなり、文化事業の多くは実をむすんだ。
あるいは、こう言いかえたほうがいいかもしれない。大阪の都市格を高めるような文化面の出費は、おもに民間の有志がささえてきた。おかげで、そちら方面のコストを財界まかせにする癖が、行政にはできてしまう。こんども、スポンサーにあまえようというような姿勢が、身についた。
そして、二〇世紀のなかばすぎから、大阪の大企業は東京へ拠点をうつしだす。高度成長期をつうじて、大阪の財界は大阪をすてていった。大阪をりっぱに見せていたパトロンは、大阪からいなくなる。大阪府と大阪市には、その尻ぬぐいをさせられた時期があったと思う。
しかし、もとより文化事業には、なれていない。けっきょくは、そちらへの出費をけずり、カジノだよりになってしまう。それが、今日の大阪なのだろう。行政主動で都市格をたもつことは、あきらめたのである。
大阪だけにかぎったことではない。日本国もまた、カジノには邁進しだしている。グローバル化時代でジリ貧となった日本経済は、そこに命綱を見いだしたようである。国をあげて、大阪化がはじまったということか。せつない話である。
●いのうえ・しょういち/1955年京都府生まれ。京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。建築史家。国際日本文化研究センター教授(建築史・意匠論)。2016年、『京都ぎらい』(朝日新書)がベストセラーに。
※SAPIO2017年2月号