湯屋は、身だしなみを整える場でもあった。当時の江戸は、男性が多かったため、女性を射止めるために清潔男子をめざした。
「男性がアンダーヘアの処理に使う毛切石が常備されていましたし、房楊枝や歯磨き粉などの口臭ケアグッズも売られていたそうです」(堀口さん)
もちろん女性も毎日、湯屋に通ったが、髪を洗うのは1か月に1回程度だった。
「腰まであるほど長いので、髪を洗ったら、また結いあげなきゃいけない。だから、毎日洗いませんでした。そもそも脂っこいものを食べていないので、髪質が油っこくなかったみたいです」(堀口さん)
電気がなかった江戸時代。ろうそくはとても高価なので、明かりには油を使っていた。菜種油は、高級品で1合64文(1600円)程度。その半分ほどの価格の魚油は魚が原料なので、とてもくさく、煤(すす)が出た。だから、江戸っ子は、あまり夜更かしはしなかったという。
『江戸時代の暮らし方』(実業之日本社刊)著者で成城大学民俗学研究所研究員の小沢詠美子さんは、江戸っ子の根底には「あきらめの美学」が流れていると分析する。
「周知の通り、江戸は火事が多かった。葺屋町、堺町のあたりは、平均すると6年に1度の間隔で焼けてるんです。6年間築いてきた財産も幸せも一瞬で失いました。それが6年後にまたやってくる。あきらめないと心が病んでしまいますよね。
また、江戸には、いろいろな地方から人がやってきました。当時は地域が違うと、慣習も生活スタイルも違った。でも、そうした人と長屋で一緒に暮らしていかなければいけない。そうした環境から、江戸っ子には、現状を受け入れるあきらめの精神が構築されていったんです」
※女性セブン2017年2月16日号