特筆すべきはその足だ。50メートルを5秒8で走り、本人も「真面目にやれば100メートルも10秒台を狙えるかもしれません」と話す。野球に必要な足は直線をいかに速く走るかではないが、藤原のベースランニングには西谷監督も舌を巻く。
「私が見てきた選手で一番かもしれません。根尾もかなり足が速いんですが、藤原はもっと速い」
筆者が藤原の噂を耳にしたのは昨年の春だった。入学したばかりにもかかわらず、沖縄の招待試合で早くもスタメン起用され、本塁打を放って注目トリオの中で一番に出世した。
7月の夏の大阪大会直前、東海大相模と練習試合を行っていた舞洲スタジアムに足を運んだ際、同校の有友茂史部長と話して驚きの事実を知った。
「うちの藤原のお兄ちゃんが、PL学園におるんですよ」
私はPL学園の廃部問題を2年半にわたって取材してきた。12人しかいなかったPL学園の最後の部員には、藤原姓の選手がふたりいた。そのうちの一人である藤原海成は、練習試合に足を運ぶ中で、もっとも言葉をかわした選手だった。
レフトのレギュラーだった彼は3年春の練習中に、右肩関節唇損傷という大ケガを負い、キャッチボールもままならない状態で、最後の夏を迎えようとしていた。その彼からは2歳下の弟がいることを聞かされていた。
しかし、その弟がどこの学校に通っているのかは語ろうとしなかった。語りたがらない話題をこちらが無理に聞き出すこともない。
後日、海成に「驚いたよ」と伝えた。
「別に隠すつもりはなかったんです。ただやっぱり、弟には迷惑をかけたくなかったので、自分から言う必要はないかなって。弟、めっちゃすごいっす。完全に上(プロ)を見ていますよね。兄として尊敬していますし、僕なんて、ぜんぜんかなわないです(笑)」
藤原兄弟の父が明かす。
「弟は兄を目標に頑張ってきた。二人とも昔から仲が良くて、恭大は兄と一緒に甲子園を目指したかったんです。だから進路もPLを考えていたんですが、(2014年10月に決まった)新入部員の募集停止で、それも難しくなった。兄は弟を応援し、弟も兄を応援する。父親として誇りに思う、そんな兄弟です」