◆神様の前でやるもの
舞台で舞っているのは若い人が多い。率先して若い人を中心にして舞台に立たせているからだ。能では謡が基本になるが、ベテランがそれを担当している。
「黒川能はお客さんのためというよりも、神様の前でやるものなので、お客さんの反応はあまり見ません。それよりも上座と下座で競ってますので、他の座の視線の方が気になります。昔からそうして切磋琢磨してきたのです。中央の五流とも、芸の上では交流はありません。私が大学生の頃、ちょっと五流風にして演じたら、後から長老たちから説教されたくらいです。もともと酒井藩が観世流を贔屓にしていたので、観世風だと言われますが、宝生流にちかいところもあるし、節の付け方なんかは金春流にも似ています」
上野さんは大学で東京にいるとき、五流についても勉強してきたので、そうした比較ができるようになった。黒川能は五流に分かれる前の芸風をもっているので、もっとも世阿弥の頃の雰囲気を残していると言われている。中央では廃曲になった演目も、黒川では上演されている。全て合わせると五四〇番の演目を誇るが、上野さんのレベルの人でも、生涯に舞えるのは五〇番くらいだ。
上野さんが中学生くらいのとき、黒川能が『太陽』で取り上げられ話題となった。
「それまではお客さんが来すぎて困るということはなかったのですが、殺到するようになりましてね。村に宿泊施設がなかったので宿を整備したりして、それは凄かったです。現在はブームも落ち着いたので、今の方がゆったり見られると思います」
稽古も見学させてもらった。
下座と上座は分かれて、それぞれの公民館で仕事が終わった夜、通し稽古などが行われる。下座、上座合わせて160人ほどいるが、この日の下座では30人ほどが集まって通し稽古していた。囃子方は鼓を持たず、手拍子でやっている。衣装や面も、当日まで着けない。
「どうしたワキ、緊張したか」と、合間に太夫から若いワキ役の人に声がかかる。「二段目のところ、笛はもう少しゆっくり吹いてくれんと、舞われんのでな」などの微調整がこのとき入る。
下座と上座の違いは、部外者にはわかりにくいが、例えば下座ではお祭りに女の子も参加することがある。これは上座では絶対にない。「上座には祭りがあって、下座には能がある」とも言われる。楽屋も別々で、上演当日に互いの演能を初めて見るのだという。
「見ていると酒が出たり食事が出たりと、とにかく大らかでびっくりしました」と私が言うと、上野さんは「昔は王祇祭(年に一度、夜を徹して行われる大祭)でも、途中から寝そべって見てましたからね」と笑った。
●うえはら・よしひろ/1973年大阪府生まれ。『日本の路地を旅する』で大宅賞受賞。近著に、『一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート』。
※SAPIO2017年4月号