映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、モノマネで知られるお笑い芸人として売れっ子になった片岡鶴太郎が、大林宣彦監督作品で映画に初出演したときのことを語った言葉をお届けする。
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片岡鶴太郎は1988年に山田太一原作・大林宣彦監督の映画『異人たちとの夏』に出演、俳優としての評価を高めていく。
「市川森一さんの書かれたホン(脚本)を読んだら面白い役だと思いました。この役は俺しかできないという直感があったんです。下町の寄席好きの親父。まさに私の父親でしたから、父親をモチーフにしよう、と。
でも、実を言うと降りたいと思っていました。その時、ボクシングのプロライセンスの試験が六月に決まっていました。で、映画は四月にインする。この四月はボクシングに集中したくて、できるだけ仕事したくなかった。
それで監督に『この四月は実戦のスパーリングで打ち合わないといけない。ですから、鼻血が出たり傷を作ります』と言ったんですよ。これで降ろしてもらえると思った。ところが監督は『ああ、そう?』って。
『鶴ちゃん、それはやるべきだ。山田さんは脂性の鶴ちゃんは寿司職人にミスキャストだから変えてほしいと言ってたけど、今はボクシングをしてるからランニングの似合う身体になっている。それに僕は役者の顔を撮るんじゃない。顔が欲しくて鶴ちゃんを選んだんじゃない。鶴ちゃんにこれをやってもらいたいんだ。どんどん打ち合って構わない。傷ができたら、背中から撮るから』っておっしゃる。それで、僕も決心を固めました。
初めての映画でしかも大役ですから、本当はプレッシャーがあるはずなんでしょうけど、スパーリングの後で撮影でしたから。『殺されるんじゃないか』『今日も生き延びた』という放心状態のまま現場に行ってたので、何も怖く感じませんでした。力が抜けて、芝居をしようという気がなかったのが、かえってよかったのかもしれません」
翌年には勝新太郎監督・主演の映画『座頭市』に出演した。