すべての区間を高規格にすることはできなくとも、登り坂で低速車両を追い抜くことができる登坂車線を整備したり、平地でも区間によって上り、下りのどちらかを2車線化したりといった、最低限の改良はできるはずである。
こうした改良を地道に重ねていけば、一般道の旅は少なくとも今よりずっと有用で、快適なものになるだろう。
日本ではクルマを持つこと自体がステイタスとされた時代が終わりを告げたのを境に、需要は減少に転じ、付加価値も追い求められなくなった。自動車メーカーは、口ではもっといいクルマ、もっと楽しいクルマと言いながら、日本市場についてはほとんど投げ出しに近い状態が続いている。
が、所有の喜びが消えた後が続かなかったのは、日本人が本質的にクルマ嫌いだからではなかろう。ユーザーの大半がモータリゼーション勃興以来、クルマで得られる本当の移動の自由を味わっていないのに、そう決め付けるのは早計というものだろう。
自動車から上がる膨大な税金は、かつては道路特定財源とされ、交通インフラ作りで負担者に還元される形となっていた。2009年に一般財源化され、用途は道路に限らなくなったとはいえ、税を支払っている人が誰かということを考えれば、自動車業界は政府や行政に対して、もう少し道路整備に愛情を示してほしいと要求するくらいのことはするべきだ。
ぜいたく品を作れというのではない。せめて他の先進国の半分でもいいからスムーズな通行ができるようになれば、自動車での移動はより楽しいものになるし、さまざまな波及効果も期待できると思うのだが。
文■井元康一郎(自動車ジャーナリスト) ※写真提供も