また、テレビだけではなく当時としては珍しい冷房やオールクロスシートといった車内設備の充実ぶりも際立っていた。グレードの高い列車に運賃だけで乗車できるのだから、京阪沿線住民にとって初代3000系は鼻を高くさせる自慢の特急だった。
初代3000系人気は、決して関西限定ではなかった。初代3000系が京阪から引退すると、地方の鉄道会社から引き取り希望が殺到。現在、初代3000系は富山地方鉄道や大井川鉄道で活躍している。
テレビカーによって絶大な人気を博した初代3000系だが、その裏では京阪の技術陣の苦労も絶えなかった。
「テレビカーでは、視聴可能区間の拡大に注力しました。当社が独自にケーブル線をトンネル内に張り、アナログ電波を受信可能にしたことで地下線を含め全線で視聴可能にしています」(同)
高速で移動する電車内で電波をきちんと受信することは難しい。テレビの映像は乱れて、まともに番組を放送できなければテレビカーの意味がなくなる。京阪の技術陣により、車内に設置されたテレビの映像が乱れないように工夫が続けられた。
京阪以外にもテレビカーを走らせていた鉄道会社はあったが、技術的な問題から早々に断念。京阪は不断の努力によって技術的な問題をクリアし、「テレビカーといえば京阪」といったイメージが広まった。こうして、京阪のテレビカーは、確固たる存在になっていく。
しかし、テレビの時代は終わりを告げる。今般、テレビはオワコンともいわれる。以前なら、学校や職場では昨日見たテレビ番組の話題で話に花が咲くのは一般的だった。今、友人や同僚とテレビの話で盛り上がることは少ない。
現在、テレビに替わる新しいメディアとしてインターネットが台頭してきている。スマートフォンという手軽にインターネットを楽しめるデバイスが登場したことも拍車をかけ、電車内で新聞・雑誌を読む人を見かけなくなった。今や、電車内ではスマホを操作している人がほとんどだ。そうした世間のテレビ離れを背景に、京阪は2013(平成25)年にテレビカーの運行を終了させた。
京阪の代名詞的存在だったテレビカーは姿を消したが、これからも京阪特急は鉄道ファンや沿線住民の誇りとして走り続けるだろう。