昨今、「室内墓」とともに新しい埋葬の形として「樹木葬」が大きな注目を集めている。しかし、その内容はさまざまなことをご存じだろうか。ノンフィクションライターの井上理津子さんは、樹木葬の名付け親、先住職の千坂げんぽうさん(72才)が待つ、岩手県一関市の臨済宗・祥雲寺へ。樹木葬墓地を管理する祥雲寺の子院・知勝院「生きもの浄土の里」へ。骨壷は使わず遺骨をじかに穴の中に埋葬し、その上部に木を植えるという樹木葬について、リポートする。
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樹木葬墓地とその周辺を巡ること、1時間。「リフレッシュさせていただきました」と、つい妙な感想を口にしてしまった私に、千坂さんはにんまりした。
「それはよかった。ここは、樹木葬のための里山ではなく、里山の自然再生のための樹木葬ですから」
千坂さんから聞いた「間伐し、下草を刈り、落ち葉をかき、もうすぐ20年」という言葉を思い出したが、今ひとつ意味がわからない。樹木葬を考案された経緯を教えてください――。
「1990年頃から地域づくりの活動をしていた中、全国の丘陵地や里山が墓地開発で破壊されていくのに心を痛めていたんです。豊かな自然を次世代に継承するにはどうすればよいのかと考えていた、ちょうどその頃『葬送の自由をすすめる会』が立ち上がって、いわゆる散骨が始まった。『散骨が自然にいちばん優しい葬送方法』という主張に、いや、違うだろうと。自然を守り、エコ的に土地を利用する手段として、樹木葬のアイディアがひらめいたんです」
かつては土葬が標準だった。東北地方で「死して魂は山に還る」と語られるのも、土葬文化ゆえだったろう。土葬の延長として、「火葬骨」を埋葬する方法が、民俗学的にも理にかなっている。「樹木を目印に、コンクリートも墓石も使わないエコな墓」をつくりながら自然を守ろう。そう発想したと、千坂さんは言う。
この里地里山は、1994年に「自然体験研修林」として久保川(北上川系磐田川の支流)流域部分の山林を購入したのを皮切りに、徐々に買い足してきたもの。その一部が、行政から認可された樹木葬墓地にあたる。