小池は1971年9月にカイロの地に降り立つまで、アラビア語は一切勉強しなかったと自ら述べている。そんな状態で、いきなりアラブ諸国で最高峰のひとつとされるカイロ大学に入れるものなのか。小池が当時「仙人」と仰いでいた日本人初のカイロ大学卒業生、小笠原良治・大東文化大学名誉教授が言う。
「カイロ大学には入学試験がなく、望む者に門戸は開かれている。それでもアラビア語のできない外国人は入れないし、もちろん授業にもついていけない」
実際に小池は一度、アラビア語ができないために大学側から入学を拒否されている。そこでカイロ市内にあるカイロ・アメリカン大学が提供する語学特訓コースに通い、8か月にわたってアラビア語を集中的に勉強した。そして翌年、晴れてカイロ大学に入学し、4年で同大学を卒業した。
だが難解なアラビア語が使われる大学を卒業したことについて、これまでも「本当に卒業したのか」という学歴詐称疑惑が飛び交ったことがある。小池の卒業について調べるため、カイロ大学に向かった。
校内では、小池が通った文学部の建物が当時のまま使われていた。まず留学生を把握している管理課で、「文学部長に許可を取ってくれ」と告げられた。学部長室に向かうと、今度は秘書から伝言で「日本語学科に許可を取れ」と、たらい回しになった。エジプトではよくあることだという。
そうした“インシャラー文化”に従って日本語学科に向かうと、「日本の筑波で暮らしたことがあります」と気さくに話すアーデル・アミン・サーレ教授にたどり着いた。アーデル教授に小池の在籍記録を調べてもらった。