「現代人が面白くなくなったというか、見えなくなっちゃったんです。象徴的に言うと、みんながスマホに目を落としていて、電車の中でも視線を上げて目と目が合うなんていうことがほとんどない。人間が二次的になっています。
ライブは生身と生身が出会う一次産業の仕事ですから、もう一度自分の中に生々しさを取り戻したかったんです。そのためには、少し前までチョンマゲを結っていた近代をくぐることで、自分の身体に眠っているものが呼び起こされるかな、と思った。その可能性を夏目漱石に見出したんです」
釧路での公演では、『坑夫』『草枕』『道草』『門』『明暗』という5本の漱石作品が演じられた。イッセーが演じるのは、いずれも主人公ではなく、傍らの人間だ。
老いた落語家、床屋の主人、学生、老婆、義母、令夫人……。そのひとりひとりをイッセーは見事に演じわけていく。舞台上で衣装を着替え、老婆に扮したならば、そこにいるのは、喋り方、歩き方、所作のどれもがまごうことなく老婆のそれと化す。
「妄ソーセキ」はこれまでに5回公演が行なわれているが、回を重ねるにつれ、手応えは強くなっている。
「漱石作品をネタ化するのではなく、自分のネタそのものになったと身体で感じるようになりました。それがとっても嬉しい」
一人芝居を始めて35年。30歳そこそこで一人芝居を始めたときは、怖れもあったという。