片山:それだけ本土と沖縄の距離は離れてしまったと言えますね。しかしそんな状況で、沖縄を繋ぎ止めようと今上天皇は沖縄と向き合い続けてきました。
佐藤:私は今上天皇と皇后が琉歌を詠んでいることに注目しているんです。
琉歌の基本形は、本土の短歌や俳句の定型である五七調や新体の七五調とは違う八・八・八・六。今上天皇はリズムが異なる琉歌を一生懸命に学び、沖縄について必死に勉強している。そうしないと沖縄が理解できない。
片山:言語学者の服部四郎は日本語を本土の日本語と南方の日本語に分けていたと思います。後者は琉球語でしょう。方言ではなく同系の対等な日本語同士なのですね。つまり対等の兄弟と見なくてはいけない。
ところが明治以後、本土は沖縄を帝国主義的に植民地のように扱った。単に辺境の遅れた地域と見ていた。しかし、やがて南方進出が叫ばれ、「大東亜共栄圏」のイメージへと発展する過程で、沖縄は地政学的な重要拠点と位置づけられ直していった。そのクライマックスが沖縄戦です。この歴史を記憶していれば今のように本土は振る舞えないでしょう。ひたすらひずみを引き受けさせてきた不遇の兄か弟が沖縄なのですから。でも、歴史は忘却される一方のようで。