〈日本語は、漢字をどのように読んでも良いと言う慣例があります〉〈その最たるものが、名前です〉〈「宇宙」と書いて「そら」、「飛悟」と書いて「ひゅうご」〉〈そういう慣例があるとすれば、「云々」という熟語を「でんでん」と読んでも、なんら揶揄されることもないでしょう〉……?
「あはは。ただ残念ながらでんでんとかみぞうゆうなんて読みは存在せず、字面を目で追ううちにわかったつもりになってしまうのが、黙読の落とし穴なんです。政の字の旁(つくり)は手を象った『する・させる』を意味する象形文字で、物事を正し、人々を幸せにするのが政治だと、孔子も言っている。その範となるべき政治家はもっと言葉に責任を持っていただきたいところです」
と、目の前で象形文字をすらすら書いてみせる氏の専門は、中国学及び文献学。敦煌で出土した漢籍調査等に関わり、それが書かれた時代や背景を熟練刑事さながらの経験と勘で同定する、言葉の名探偵でもある。
そもそも西暦6世紀頃、中国南部・呉の地方から仏教と共に伝来した漢字には〈呉音〉〈漢音〉〈唐宋音〉の3つがあり、言葉が入ってきた時期によって読み方も異なるのが原則だという。
「ただし夥しい例外があるのも日本語の面白い点で、だから音読して音を覚えることが、大事なんです」
奈良時代までほとんどの漢語は呉音で読まれたが、平安遷都を前に桓武天皇は唐の都・長安の標準語である漢音を奨励。さらに時代が下ると中国語自体も現在の形へと近づき、宋以降の発音に基づくのが杏仁(あんにん)、行灯(あんどん)などの唐宋音だ。
例えば必定(ひつじょう)は元々、〈人はいつか必ず成仏する〉という意味の仏教用語で、呉音で読むのが正解。一方「定」は漢音で「てい」とも読み、必定や定規の「じょう」と定食や定期の「てい」では定まり方が随分違う印象だ。また案の定も「じょう」と読むが、〈「案の定、汚職まみれの政治家が落選した」など、予想した通りにことが運ぶさま〉とチクリ。