「当時は白短が令嬢タイプ。一方の青短は人生を楽しむ子が多かった。1970年代でもすでにディオールやイヴ・サンローランといったハイブランドを着こなす子がいました。それに学食もオシャレで充実していました。せいぜいスパゲティという時代に、グラタンまでありましたから」
在学中だけでなく、卒業後もとことんモテるのが青短の強みだ。特に“就職力”は群を抜き、構内の壁一面に張り出された求人票から就職先を選び放題だった。
「青短生は明るく素直で物怖じしないので就職面接に強いんです。財閥系の銀行や商社、トヨタなどの自動車メーカー、さらには航空会社と引く手数多でした。特に当時の女子大生なら誰もが憧れたCAの合格者は青短がダントツで多かった。企業側としても、短大生に腰掛けで仕事をしてもらい、社員のお嫁さんにするという意図があったのでは」(帆足)
男尊女卑的風潮が色濃く残る時代だったが、入社後も「青短卒」というだけでチヤホヤされた。
「卒業生は『会社のなかのオジさまたちの受けがすごくいい』と声を揃えます。その分、オバさまがたのやっかみや嫌味は結構すごかったそうですが…(苦笑)」(帆足)
仕事もそこそこに、より条件のいい伴侶を見つけることに夢中だった彼女たち。もちろんお相手は超エリートばかりだった。
「入学式で教員が『青短卒業生の結婚相手でいちばん多い出身大学は東大です』と挨拶したほど。実際に私の友達は三井物産や三菱商事などの一流商社マンや有名俳優と結婚。CAの子は航空会社の男性や、機内で知り合った欧米人と結婚しています」(西村)
“我が世の春”を謳歌していた短大生は、外部からはどう見えていたのか。中学から大学まで学習院で過ごしたフリーアナウンサーの小島慶子(45才)は、中高時代を白短生と同じ敷地内で過ごした。
「キャンパスは同じでも白短生は雰囲気が違いました。私たちは制服で地味でしたけど、短大生はメイクもバッチリの華やかな人が多かった。中には毛皮のコートの人も」(小島)
一方で小島は、当時多くの女子学生が短大を選んだことに理解を示す。
「当時女性は25才までが結婚適齢期で、それを過ぎると“クリスマスケーキ”と呼ばれていました。女性にとって『若さ』こそが価値という考え方は今よりずっと強かった。仕事を続けるなら結婚も子供もあきらめて髪を振り乱して働くしかないといわれた時代には、短大を出て事務職に就き、20代で結婚するのは、幸せになる現実的な選択だったのでは」(小島)
撮影/平野哲郎
※女性セブン2017年9月7日号