『ルミネ』などのコピーを手掛けている博報堂のコピーライター・尾形真理子さん
「大学時代、駅のホームで見た『そうだ 京都、行こう。』のポスターを見て圧倒されました。思わず見惚れるビジュアルに、知らなかったお寺の裏話まで書いてあって。それからコピーライターを意識するようになりましたね」
コピーに興味がわいてくると、読み手に新しい発見を与える絶妙なコピーにも目が留まるようになったという。
「『1億使っても、まだ2億。』という宝くじのコピーは強烈でした。宝くじを買えば3億円のチャンスがあるのは多くの人が知っているけど、3億円という額にピンときてなかった。ところが数字を分解した途端に、感覚的に金額の大きさがつかめて、3億円の価値が途端にリアルになる。その思いを博報堂の入社試験の面接で話したら、“女性なのに『恋は、遠い日の花火ではない。』とかじゃないんだね”って、面接官に笑われましたけどね(苦笑)」(尾形さん)
◆2000年代~2010年代
2000年代に入ると市場が成熟し、コピーの質も変わってきた。
「商品の良いところをアピールするだけでは競合他社との違いを出せない時代。企業の社会に対する姿勢や考えを示す要素が強くなっています。2010年代はメディアも細分化されて、広告もパーソナライズ化が進み、1970年代や1980年代ほどに表現の共通項が見出しづらくなっています」(谷口編集長)
目にするメディアやライフスタイルや好みが細分化するということは、誰にも共通するコピーが生まれづらいという“逆風”がコピーライター業界では吹きつつあると前出の尾形さんが指摘する。
「昔は中吊り広告の競合は、窓の外の景色か電車に乗っている美人さんか新聞か漫画だったと思うんです。今はスマホという新聞も小説も漫画も入っているパーフェクトに近いメディアが普及している。しかもスマホに広告が出てきたら『×』ボタンを押して見ないという選択権が消費者側にある。私たちには、そのなかでも目に留まるインパクトがあるコピーが求められていることは確かですね」
『ココロも満タンに』などコスモ石油の名コピーを生んだ仲畑貴志さん(70才)も「言葉が届きにくい時代になった」と語る。
「景気がよくなったといわれても実感がないですよね。そういうときは社会も企業も守りの姿勢になって、どんなにいいコピーができても、攻撃的な表現の場合はクライアントのOKが出づらい。コピーライターとしては悲劇だよね」(仲畑さん)
加えて、表現方法の制約も課されるようになった。