「“延命医療の鬼”だった私が、この件をきっかけに老衰に対する医療の意味を考えるようになり、緩和ケアの道へ進むことになりました」(石飛氏)
難病とされた川崎病に対する冠動脈バイパス手術を実施し、世界的に治療法を確立した国立循環器病研究センター名誉総長の北村惣一郎氏の「医歴書」には、壮絶な医者人生が記されていた。
北村氏は大阪大学医学部卒業後に附属病院で外科医として働き始める。当時の心臓カテーテル検査は発展途上で、〈一応、鉛のエプロンと帽子をかぶるけれど検査する方も放射線を浴びまくり〉と語っている。
今だから明かせる話もある。1981年4月に奈良県立医科大学の教授として赴任し、心臓弁の組織移植医療に取り組んでいた北村氏は、手術実施の是非を判断する大学病院の倫理委員会の結論が出る前に移植手術に踏み切ったことがあった。
それは、〈当時の(心臓)弁の保存期間は約6か月としていた。6か月過ぎたら、破棄しなければいけない。ちょうどその時に、その弁に適応のある患者さんがいた〉にもかかわらず、期限が迫っても結論が出ないことに業を煮やしたというのが理由だったが、それは、〈失敗していたら、僕は今、ここにはいないと思う〉という医師生命スレスレの行動だったというのだ。
名医に名エピソードあり。
※週刊ポスト2017年10月6日号