脱力感が人気の「京成パンダ」
それほど力を入れていた博物館動物園前駅は、1969(昭和44)年に年間の利用者数が45万人にも達した。まだパンダ来園前の記録だから、いかに上野動物園が高い集客力を持っていたかがわかるだろう。
しかし、パンダブームが日本を席巻する頃、博物館動物園駅はすっかり存在感を失っていた。博物館動物園駅の泣き所は、ホームが短いために4両編成の電車しか停車できない点にあった。
高度経済成長期より、首都圏を走る各線では輸送力増強のため一編成の長大化に取り組んでいた。京成も一編成を6両化にしている。そのため、4両分のホームしかない博物館動物園前駅には一部の電車しか停車できず、普通電車でも通過するという不思議な存在になっていた。こうなると、もはや博物館動物園駅の命運は風前の灯だった。
博物館動物園駅が存亡の危機にある中、京成は成田空港までの路線建設費が重荷になって収益を悪化させていた。莫大な建設費を投じて開通させた成田空港までの路線は、空港開業が遅れたことで赤字が増大。また、京成は事業多角化が失敗し、経営を圧迫した。
経営状態を改善するため、京成は1979(昭和54)年に無用の長物化していた博物館動物園駅の廃止を打ち出した。
博物館動物園前駅はデザイン性などが高い評価を受けており、学者・文化人・地域住民からは廃止を惜しむ声が相次ぐ。京成の方針に異を唱えた人たちによって、1991(平成3)年にNPO「上野の杜芸術フォーラム」が結成された。
「上野の杜芸術フォーラム」は駅構内でイベントを開催し、駅の保存・再生する活動に取り組んだ。そうした奮起もむなしく、博物館動物園駅の利用者は増加することなく1997(平成9)年に休止。2004(平成16)年には正式に廃止された。
以降、残念ながら京成と上野は疎遠になりつつある。
2007(平成19)年に誕生した京成のゆるキャラ”京成パンダ”は、上野を想起させるキャラクターではあるものの、居住地は京成沿線の公津の杜駅近くのマンションという設定になっている。その理由を京成広報部に訊ねると「公津の杜は京成が開発したニュータウンで、まちづくりをPRする目的で誕生したから」だと言う。また、”京成パンダ”は京成のキャラクターでありながら「弊社が発行するクレジットカードの加入者を増やすPRが主な仕事」と、上野どころか鉄道事業との関連性も薄い。