スポーツ
2017.11.04 07:00 週刊ポスト
エバート、グラフ、マレーバ 70~80年代のテニスアイドル達

「マレーバ三姉妹」の長女マニュエラ・マレーバ(写真:AFLO)
スコートから伸びる鍛え抜かれた脚、揺れるブロンドのロングヘア。1970~80年代、海外女子テニスプレーヤーたちは、トップアスリートであるとともに、華やかなファッションアイコンとしても存在感を放った。
1970年代からトップ争いを繰り広げ、女子テニス界を長く牽引したのが、マルチナ・ナブラチロワ(旧チェコスロバキア、アメリカ)とクリス・エバート(アメリカ)。後年、同性愛者であることを明かしたナブラチロワが武骨だったのに対し、ノースリーブや胸元の開いたウェアをまとったエバートは颯爽とし、男性ファンをときめかせた。全仏、ウィンブルドンを制した1974年当時は20歳にして男子選手ジミー・コナーズと婚約中だったが、その後も男性遍歴を重ね、コートの外でも華やかだった。
1980年代に入ると西ドイツ(当時)のシュテフィ・グラフが“新女王”として台頭し、1988年、4大大会と五輪を制して、男女テニス史上唯一の「年間ゴールデン・スラム」を達成。日本の男性誌や週刊誌でも、『ペントハウス西独版』がヌード撮影を依頼した、恋人とバカンスに行った、と盛んに記事にした。
1980年代の日本はテニスブームの最中。大学でテニスサークルが花盛りだったこともあり、テニス誌では若手の可愛い女子テニスプレーヤーたちを“テニス・エンジェルス”などと呼び、アイドル化させる現象も起きた。
なかでも人気が高かったのが、アメリカのリサ・ボンダー。テニスの成績は今一つだったが、小林製薬のCMにも起用され、1983~1984年頃には頻繁に来日。カナダのカーリン・バセット、テニス姉妹「マレーバ三姉妹」の長女マニュエラ・マレーバ(ブルガリア)も日本人の間でとりわけ人気があった。
※週刊ポスト2017年11月10日号
関連記事
トピックス

正論か、暴論か 「東京五輪開催できる」という人に根拠を聞いてみた

小倉優子、まるで20代のルックス「12分5万円」のエステ効果か

5年ぶり全日本制覇の石川佳純 “かすみん”努力の軌跡を振り返る

眞子さま結婚問題「天皇皇后両陛下と小室さんは一生会わない」事態も

ジャニーズJr.22才定年の衝撃 芸能界に「年齢制限」はあるのか

「とくダネ」後番組MCの谷原章介 大争奪戦で朝の顔に決まるまで

カレーの日対談 椎名誠×幸村しゅう「カレーは共通項ある食べ物だ」
