ビジネス

東京モーターショーに名を刻んだ名車は戦後日本人の夢だった

オオタPH型セダン(写真:日本自動車工業会)

 10月27日から11月5日の間、第45回東京モーターショーが開催された。その黎明期の歴史を振り返ってみよう。

 1953年にテレビ放送が開始され、人びとが街頭テレビに夢中になっていたころ、国民の憧れは白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の三種の神器だった。自動車を保有するのは夢のまた夢、そんな時代に「全日本自動車ショウ」(当時の正式名称)が初めて開催された。

 日比谷公園に仮設テントと屋外展示を設置しての開催。展示車両267台のうち乗用車は17台にすぎず、多くはトラックや建設車両、バスなどが主であった。

「日比谷公園時代(1954~1957年)」に展示された歴代名車の中には、ダットサン(日産自動車)と並ぶ小型車ブランドの代表格「オオタ」の903ccエンジン搭載の革新的モデル、「オオタPH型セダン」や、いすゞ自動車の乗用車進出の先駆けとなった「いすゞヒルマンミンクス」などもあった。

 そして、1959年からは晴海に国際見本市会場が完成したことで、これまでの屋外から屋内開催となった。

 移転開催当初の第6回では名称が「ショウ」から「ショー」になり、第11回(1964年)からは「東京モーターショー」になり現在に至る。晴海での30年近くの間に日本の自動車産業は急成長を遂げた。

「晴海・国際見本市会場時代(1959~1987年)」には、当時公務員の初任給が1万円ほどの時代に100万円以上もする夢のスポーツカー「プリンス・スカイライン」(プリンス自動車)や、日産自動車の名車「ダットサン」の3人乗りオープンカー「ダットサン・フェアレディ」なども展示された。

関連キーワード

トピックス

水原一平氏のSNS周りでは1人の少女に注目が集まる(時事通信フォト)
水原一平氏とインフルエンサー少女 “副業のアンバサダー”が「ベンチ入り」「大谷翔平のホームランボールをゲット」の謎、SNS投稿は削除済
週刊ポスト
解散を発表した尼神インター(時事通信フォト)
《尼神インター解散の背景》「時間の問題だった」20キロ減ダイエットで“美容”に心酔の誠子、お笑いに熱心な渚との“埋まらなかった溝”
NEWSポストセブン
水原一平氏はカモにされていたとも(写真/共同通信社)
《胴元にとってカモだった水原一平氏》違法賭博問題、大谷翔平への懸念は「偽証」の罪に問われるケース“最高で5年の連邦刑務所行き”
女性セブン
富田靖子
富田靖子、ダンサー夫との離婚を発表 3年も隠していた背景にあったのは「母親役のイメージ」影響への不安か
女性セブン
尊富士
新入幕優勝・尊富士の伊勢ヶ濱部屋に元横綱・白鵬が転籍 照ノ富士との因縁ほか複雑すぎる人間関係トラブルの懸念
週刊ポスト
《愛子さま、単身で初の伊勢訪問》三重と奈良で訪れた2日間の足跡をたどる
《愛子さま、単身で初の伊勢訪問》三重と奈良で訪れた2日間の足跡をたどる
女性セブン
水原一平氏と大谷翔平(時事通信フォト)
「学歴詐称」疑惑、「怪しげな副業」情報も浮上…違法賭博の水原一平氏“ウソと流浪の経歴” 現在は「妻と一緒に姿を消した」
女性セブン
『志村けんのだいじょうぶだぁ』に出演していた松本典子(左・オフィシャルHPより)、志村けん(右・時事通信フォト)
《松本典子が芸能界復帰》志村けんさんへの感謝と後悔を語る “変顔コント”でファン離れも「あのとき断っていたらアイドルも続いていなかった」
NEWSポストセブン
水原氏の騒動発覚直前のタイミングの大谷と結婚相手・真美子さんの姿をキャッチ
【発覚直前の姿】結婚相手・真美子さんは大谷翔平のもとに駆け寄って…水原一平氏解雇騒動前、大谷夫妻の神対応
NEWSポストセブン
違法賭博に関与したと報じられた水原一平氏
《大谷翔平が声明》水原一平氏「ギリギリの生活」で模索していた“ドッグフードビジネス” 現在は紹介文を変更
NEWSポストセブン
カンニング竹山、前を向くきっかけとなった木梨憲武の助言「すべてを遊べ、仕事も遊びにするんだ」
カンニング竹山、前を向くきっかけとなった木梨憲武の助言「すべてを遊べ、仕事も遊びにするんだ」
女性セブン
大ヒットしたスラムダンク劇場版。10-FEET(左からKOUICHI、TAKUMA、NAOKI)の「第ゼロ感」も知らない人はいないほど大ヒット
《緊迫の紅白歌合戦》スラダン主題歌『10-FEET』の「中指を立てるパフォーマンス」にNHKが“絶対にするなよ”と念押しの理由
NEWSポストセブン