今も述べたように「中国」という名称は「世界の中央の国」という意味である。そして、これが通用するのは東アジア一帯だけである。西洋でこんなことを言えば、Chinaはバカかと笑われるだけだろう。
東アジア一帯とは、かつて「華夷(かい)秩序」にあった地域である。その思想を「中華思想」という。これは単なるお国自慢、愛国思想ではない。上下意識・差別意識による他民族支配思想である。その象徴が「中華」「中国」という国名なのだ。
ごく標準的な高校生向け受験参考書を見てみよう。山川出版社の『詳説・世界史研究』(二〇〇九年版)に、こんな記述がある。
「中国では、古くから周辺の異民族に対し、中華思想と呼ばれる文化的な優越感があった」「漢族を華と称してその国土を中華・中国・中原と呼んで美化するとともに、異民族を文化程度の低い夷狄(いてき)と称して蔑視する」
「中国」こそ、このように差別語なのである。
江戸時代に福岡の志賀島で出土した「金印」は、現在国宝に指定されている。これに刻まれた印文は「漢の委(倭・わ)の奴(な)の国王」であり、奴(那珂川〔なかがわ〕周辺)は倭(日本)に服属し、倭は漢に服属している、という意味だ。支那はこれと同じ意識で、日本に対して支那を「中国」と呼ばせようとしている。
世界中で、差別の加害者が被害者に対して謝罪した例は、残念ながら多くない。しかし、差別の被害者が加害者に対して謝罪を強制させられているという例は、日本だけである。
【PROFILE】呉智英●1946年生まれ。早稲田大学法学部卒業。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』(双葉文庫)、『つぎはぎ仏教入門』、『吉本隆明という「共同幻想」』(いずれもちくま文庫)など多数。
※SAPIO2017年11・12月号