「本来は仲間を増やすツールのはずですが、子育てに限らず人生の楽しそうな部分やおしゃれな部分だけがSNSにアップされ、それを見た子育て中の母親が“私にはできない”と思い込んでしまったり。子育てがひとりではできないのは当たり前なのに、SOSを発しにくい状況に見えますね」
子供を産んだ女性が当たり前に“お母さん”になっていた頃に比べ、社会環境が変化し、女性としてどう生きるかの選択肢が増えた現代は、「母である自分」を受け入れることが難しい時代なのかもしれない。
『あたしおかあさんだから』への大きな反発は、孤独な母親たち、またその姿を見ている若い女性たちの「これが理想ならば私たちは母になんてなれない」という叫びなのだろう。
狂言プロデューサーの和泉節子さんは、あくまで「子供と向き合い、母として変化してゆく自分を受け入れること」こそが現代の母親を救うという。
「男親にはない喜びを感じられるのが母親です。赤ちゃんが1年近くお腹にいるのだから、体形が変わるのは当たり前。おしゃれをしたいなら、子供を育て上げてからもう一回ゼロ地点から始めればいい。髪の毛を振り乱してでも一生懸命に子育てする。そういうお母さんはきれいです」
俵さんも、子供と向き合い、母である自分を受け入れた時、人生に対する考え方が大きく変わった。
「子供がいない頃は、“ひとりで生きて行く力をつけよう”と考えていたけれど、子育てには必ず人の手を借りなければ乗り越えられない局面がやってくる。そういった経験を経て、“人と助け合う関係を築き、助け合うことを喜べることこそ、生きる力だ”と考えるようになりました」
※女性セブン2018年3月8日号