実際、葛藤すればするほど、彼の中でシアトルとマリナーズへの思いが強くなっていったのではないだろうか。会見中に見せた表情や言葉の端々からも、“マリナーズ愛”が透けて見えてくるのだ。彼にとってマリナーズは、復帰しまたプレーするチームという意味だけでなく、心が落ち着いてしっくりくる、ありのままの自分を受け入れてくれる心の居場所なのではないだろうか。心理学では、このような心の居場所を「心理的居場所」という。
だが、そんな心理的居場所への思いも「自分から表現することができなかった」と言いながら口元をかすかに歪めると、力強くしっかりと唇を結んだイチロー。5年半前、トレードを自分から申し出たのは彼自身。どんなにシアトルへの思いが強くても、自ら口を開くことはできなかったのだ。
「こういう形」で戻ってくることになったことを自ら告げると、それまでの葛藤や緊張がフッと抜けたようだ。そして「シアトルのユニフォームで…」と言いながら一瞬、目を細めて愛おしそうな表情を見せると、「プレーする機会をいただいたこと」と左眉を上げた。
淡々と話しながらも、そのわずかな仕草でプラスの感情が働いていることがわかる。「とてもハッピーです」と言ったときも笑顔は見せなかったものの、身体を大きく揺らしていた。それだけ心の中では、感情の動きが大きかったということだろう。
立ち上がり、背番号51番のユニフォームを手にした顔は微笑んでいた。会見中、目を潤ませるような様子も見せたイチローは、マリナーズに対して「力になれるなら何でもやりたい」、「すべてをチームに捧げたい」とその覚悟を話しながら、何度も小さくうなずいていた。そこには並々ならぬ決意があることがわかる。
外野手の故障が続いたことで戦力として呼ばれ、また彼の倫理観、集中力や準備が「チームの環境を向上させる」という面でも期待されているイチロー。「心理的居場所」での伝説の第2幕が、いよいよ幕を開ける。