そのためには、2040年代にどんな職業が必要なのか、AIに置き換えられないのかということを見極めなければならない。たとえば、ドイツは「デュアルシステム」(義務教育終了後、職業学校に通いながら企業内で職業訓練を受ける二元的なシステム)によって、350の職種ごとに専門教育を行なっている。それと同じように、日本も2040年代に有力な職種を500くらい想定して生徒を指導していくべきなのである。
また、当然それを踏まえて、その指導ができる先生を個別に養成していかねばならない。大量生産・大量消費、欧米に追いつき追い越せの時代とは背景が抜本的に違う。コーチングやメンター的な資質が重要になっていくと思われる。
ところが、文科省が学習指導要領でやろうとしているのはそれと全く逆である。「上から目線」で一律に国語表現4単位、数学Iの3単位、物理基礎2単位……などと規定して、改訂といっても単に今までの延長線上で教師や親の意見を聞きながら微修正しているにすぎない。また、日本版デュアルシステムと称する制度もあるが、その中身は専修学校などを通じた付加的な職業訓練であり、ドイツのそれとは似て非なるものだ。
今回の改訂案について「教員の意識をどう改革するか」という報道もあったが、その発想自体が間違っている。すでに本連載で紹介したデンマークの先進的な教育改革を見ればわかるように、そもそも教科を教える教員は要らなくなる。21世紀は答えのない時代だから、子供たちが皆で考えて議論し、自分で答えを導き出す力を身につけられる教育に転換しなければならない。そこでは教員の役割は無限に小さくなっていくのである。したがって、教員の意識改革などという「上から」の教員本位の考え方は逆さまにすべきなのだ。