稀勢の里の師匠でもあった第59代横綱の隆の里は、“千代の富士キラー”として知られたガチンコ横綱の代表格だが、苦しみ抜いた末の引退だった。
「糖尿病を抱えながらの現役生活で、当時では珍しいウェイトトレーニングを導入するなどして、なんとか克服して現役を続けていた。苦労を重ね、30歳過ぎてから昇進を果たし、“おしん横綱”と呼ばれました。
ただ、横綱になってからの15場所で95勝42敗75休(優勝2回)の成績は、決して満足のいくものではなかったでしょう。1986年1月場所初日に保志に敗れ、引退を表明していますが、その直前7場所のうち、6場所を休場している。土俵人生は、どうしても稀勢の里に重なって見えてくる」(ベテランの相撲記者)
稀勢の里は、横綱昇進後の勝率が5割4分1厘(26勝22敗57休)と史上最低の数字となっている(3月場所終了時点)。いつ引退となっても、おかしくない。
運命の分かれ目となる次の7月場所は名古屋開催で、例年、連日30度を超す酷暑となる。
「体調管理に苦労する力士が多く、上位陣が序盤から黒星を献上する展開が名古屋ではよく見られる。平幕優勝が過去に5回と最も多い(全体で17回)のもその証拠。稀勢の里は、そんな厳しい環境のなかで進退をかけた“勝負”を強いられることになった」(前出の若手親方)
協会や横審が日本人横綱ということで甘やかすことにも限界があるだろう。それは大横綱たちがプライドを懸けて築いてきた大相撲の歴史に泥を塗ることに他ならない。稀勢の里は試練にどう立ち向かうか。
※週刊ポスト2018年6月1日号