おしん一覧

【おしん】に関するニュースを集めたページです。

泉ピン子
泉ピン子、橋田壽賀子さんの遺骨を海へ「総額35万円」の激安葬儀だった背景
「私にも遺骨をください」。約40年にわたり、公私を共にした“母”との別れに際し、“娘”はそう願い出た。数々の作品で女の人生を描き続けた橋田壽賀子さん(享年95)。彼女の人生もまた、愛や試練に満ちたものだった。心の内を知る泉ピン子(74才)が、遺骨を手に向かうのは思い出の場所で──。 その日、窓の外では桜が満開になっていた。2021年4月4日、泉ピン子やお手伝いさんらに見守られるなか、橋田壽賀子さんは穏やかな表情で旅立った──あれから1年2か月。橋田さんの「葬儀」が明かされたが、多くの名作を残した大物脚本家の見送りと考えると、それはあまりに質素なものだった。 6月2日、朗読劇『すぐ死ぬんだから』の記者会見でピン子が口にしたのは、橋田さんの葬儀費用について。「いちばん安い葬儀屋さんに頼んだ。35万円」とあけすけに話したのだ。 彼女が女優として脚光を浴びたのは、橋田さんが脚本を担当したNHK連続テレビ小説『おしん』(1983年)での母親役だった。その後も、29年にわたって放送された長寿ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)をはじめ、数多くの“橋田ドラマ”に出演してきた。「2人は、芸能界での戦友である一方で、母と娘のような関係でもありました。ピン子さんは橋田さんをママと呼び、晩年には肉親のいない橋田さんが自宅のある熱海に呼び寄せたほど。橋田さんが入院した際にはピン子さんが毎日のように見舞いに訪れていました」(芸能関係者) 晩年、橋田さんがピン子に語っていたのは、「葬式や偲ぶ会は行わず、死んだことを誰にも知らせないでほしい」ということ。遺志に最大限沿う形で行われたのが、「棺桶はすぐ燃やすからいちばん安い木製のもの」「霊柩車は普通のバン」「お経はピン子があげて戒名もなし」という、総額35万円の“激安”な葬儀だった。 近年は家族葬など小規模の葬儀が増えてきたが、それでも平均費用は約119万円(※葬送サービスを提供する会社の鎌倉新書が、2020年に2000人を対象に行ったアンケートより)。平均値からしても驚きの価格だろう。 さらに会見で注目を浴びたのは、「6月14日に橋田先生のお骨を(豪華客船の)飛鳥IIに乗って散骨してくる」という発言だった。橋田さんの遺骨はいま、愛媛県今治市にある橋田家の墓で彼女の両親と共に眠っている。納骨されたのは昨年の4月9日。ピン子や橋田さんのお手伝いさんらが熱海から貸し切りバスに乗り、賑やかに運んだという。 だが、その墓には1989年に肺がんで亡くなった橋田さんの夫・岩崎嘉一さん(享年60)の遺骨は納められていない。死後に一緒になれない背景にはドラマさながらの嫁姑バトルがあった。「橋田さんは1966年、41才の誕生日に当時、TBSのプロデューサーだった4才年下の岩崎さんと結婚しました。周囲は大人同士の結婚を祝福しましたが、岩崎さんの家族は橋田さんのことをよく思わなかった。特に姑との関係は最悪で、『壽賀子さんはうちの墓には入れない』と宣言されていたそうです。橋田さんは生前から、“私が死んでも夫一族の墓には入らない”と言っていました」(ドラマ関係者) 橋田さんが自宅で亡くなった日、部屋には秋川雅史が歌う『千の風になって』が流れていた。「晩年の橋田さんは、この曲をよく聴いていました。夫に早くに先立たれ、一緒の墓に入ることもできない橋田さんは、ずっと寂しさを感じていました。そんなときに聴いたのが『千の風になって』。夫の魂はお墓にいるわけじゃない、千の風になって見守ってくれているのだと思い直したそうです」(橋田さんの知人) 橋田さんの思いを酌み、ピン子が決意したのが海洋散骨だった。「実はピン子さん、納骨のときに遺骨の一部を受け取っていたんです。橋田先生が亡くなる直前まで一緒にあの曲を聴いていたので、思いついたのでしょう。自らクルーズ船にかけあって海洋散骨の予約を入れたそうです」(ピン子の知人) そのクルーズ船もまた橋田さんにとって、思い入れのあるものだった。橋田さんが初めてクルーズ旅行に出かけたのは2004年。行き先は南極大陸だった。「若い頃からバックパックを背負って旅をするなど、世界中を見て回った橋田さんが、ずっと行きたいと願ってやまなかったのが南極大陸でした。2004年頃、豪華客船『飛鳥』の広告が目に留まり、仕事も顧みずに申し込んだのだとか。100日間かけていく船旅でしたが、橋田さんは感激しきりで、『飛行機だと味もそっけもない。急がない旅は船がいちばん』と話していました」(前出・橋田さんの知人)「散骨予定日にトラブルが……」 クルーズ旅にハマった橋田さんは、すっかりリピーターになり、世界一周の旅には4回も出かけた。周遊の旅を含めると、海上で1000泊以上を過ごしたという。一度の旅行で3000万円の旅費がかかることも。しかし、意欲は尽きず「旅行に行くために仕事をしている」と語ることも頻繁だった。旅行にはピン子が同行することもあった。「ピン子さんが外国人の乗船客から『おしんマザー!』と声をかけられるのを見て、橋田さんが『書いてるのは私なのに』とふてくされたとか(笑い)。一方のピン子さんも船旅を気に入り、『渡る世間は鬼ばかり』の撮影のため、途中下船した際には、最初から決めていた旅程にもかかわらず、今生の別れのように号泣したそうです。きっと、橋田さんを残していくのが心配だったんでしょうね」(前出・橋田さんの知人) 大海原で旅の醍醐味を共に味わった2人。橋田さんの楽しそうな表情を間近で見ていたピン子は、海洋散骨こそ彼女にとってベストな「弔い方」だと考えたのだろう。しかし、クルーズ船のような豪華客船から散骨することは可能なのだろうか。『飛鳥II』を運航する郵船クルーズの広報担当者はこう話す。「弊社としては、いわゆる散骨サービスは行っていませんが、クルーズ旅行をご利用いただくお客様のご希望があれば、相談の上で実施を検討しています。散骨は最も海に近い後方デッキから行われることが多いです」 法律的にも問題はないという。一般社団法人日本海洋散骨協会の中田真寛さんが話す。「実は散骨に関する法律はありません。当協会では、今年4月に発表された厚生労働省のガイドラインに沿い、陸から1海里(約2km)以上離れ、海水浴場などの観光地から見えない位置であること、お骨をパウダー状にしてから撒くことなどを条件にしています」 散骨を前に、ピン子はこう話す。「本当は命日の4月4日に散骨する予定で準備をしていました。でも、船内で電気関係のトラブルがあって、運航が中止になったんです。そうしたら、ちょうど先生の命日のあたりに私が体調を崩してしまった。ママが『あなたの調子がいいときでいいのよ』と言っている気がしました。クルーズ船はママとの思い出の場所なので、乗船が楽しみです」 橋田さんはいま、新たな“旅立ち”を心待ちにしているに違いない。※女性セブン2022年6月23日号
2022.06.10 07:00
女性セブン
(GettyImages)
65才女性記者、“佐賀県”と“CA”で気づいた「先入観や決めつけを疑え」
 女性セブンの名物ライター“オバ記者”こと野原広子が、日々の生活の中で感じた思いを自由に綴る。今回は、先入観や決めつけ、思い込みに関するエピソードです。 * * * 数週間前のGWのこと。クレジットカードで貯めたマイルを往復航空券に換えてくれる「どこかにマイル」というJALのサービスがあるんだけど、それで北九州行きのチケットを入手できたの。で、早速、佐賀県唐津市を訪ねてきたんだわ。唐津を選んだのは、旧知のネットニュース編集者・中川淳一郎さん(48才)の移住先だったから。 中川さんが東京都から佐賀県に移住したのは2020年11月。もともと彼は「東京五輪を見届けてからセミリタイアしよう」と決めていたそうで、アメリカへ渡るつもりだったとか。でもコロナ禍で渡航がままならずに計画を見送ったところ、唐津市が「佐賀に住み込んで、地元情報を発信できる人」を求めていることを知り、それに乗ったんだそう。 その佐賀県だけど、仲よしの中川さんがいなかったら行く気にならなかった県だわね。ていうのも、あの有名な国民的ドラマ『おしん』(NHK)で、おしんが逃げ出すほど激しい嫁いびりをした夫の実家が佐賀だったのよ。その当時、同居していた姑から「あんたなんか女としてはゼロよ、ゼロ!」と面罵されていた私は、姑憎けりゃ佐賀まで憎い。そこにわざわざ行くことないと思っていたわけ。 ところが何!? 実際に訪れてみたら、ご飯やお酒は悩殺レベルで美味い。お魚も地元ならではの新鮮さで、これまたとびきり美味い。加えて何よりも、中川さんが紹介してくれる唐津の人の底抜けの優しさといったらない。それこそオセロゲームで黒が白にひっくり返るように、佐賀に抱いていたブラックなイメージが真逆に変わっていくんだわ。 あ〜ぁ、魅力いっぱいのこの土地をもっと早く訪れておくんだった。一方的で勝手な決めつけ、思い込みは私の悪い癖。そのせいで、私はどんだけ取り返しのつかないことをしてきたんだろ……。 そんなことを思いながら、北九州空港6時55分発の帰りの飛行機から下界を見下ろしていたら、CA(キャビンアテンダント)さんが飲み物のサービスを始めたの。 CA! これほど特別なイメージを植え付けられた職業もないと思わない? なんたって私ら世代は、紀比呂子主演のドラマ『アテンションプリーズ』よ。いや、『アップダウンクイズ』の方が強烈だったか?『アップダウン〜』では、全問正解者が出ると飛行機のタラップが現れて(もちろんセットだけど)、森英恵デザインのミニスカ制服姿のJALのスチュワーデスがハワイ旅行の航空券が入ったバッグを渡しに階段を上がる。学力優秀で容姿端麗な彼女らは、まぁ、生まれも育ちも残念な私から見たら、「けっ!」の一音で終わる女たちよ。時が流れ、スチュワーデスは、客室乗務員だのキャビンアテンダントだのと呼び名こそ変わったけれど、一生身近に感じることはないだろうなとそう思っていたの。 なのに、長年住んだ東京・文京区から2014年に中央区の水天宮前に引っ越したら、皮肉にもそこがCAたちの居住地だったのよ。地下鉄・水天宮前駅のすぐ上は東京エアシティターミナルで、成田にも羽田にもアクセスがいい。なるほど、航空会社が借り上げ社員寮を置く土地柄よ。 そうなると、「けっ」と思っていたCAの別の顔が見えてくる。だってまだ午前中だというのに疲れ果てた顔で、結い上げた髪も崩れぎみ。それで中型のキャリーバッグを重い足取りで引きずって帰ってくるんだよ。思わず「お疲れ〜」と声をかけたくなるって。 それからもう1つ。水天宮さまは水運、つまり旅の守り神でもあるけれど、お産の神様でもあって、そっちの方が有名よね。でも、私が見かける抜け殻のCAたちは、旅の神様にだけ愛されていると見た。……決めつけちゃいかん? そりゃそうだけど、40女が独身かどうかなんて、見りゃわかるよ。スーパーマーケットで買い物していたってわかる。ピーマン1つつまみあげる手の所在なさは、働く母さんとはまるで違うもの。てか、私も同じ独り身の道を長々と歩いているし。 で、北九州空港から帰京する飛行機の中に話を戻すと、飲み物のサービスで向こうからCAのお姉さん2、3人がこちらに近づいてきたの。その中の40代らしき知的な美女に目が釘付けになったのよ。首のスカーフの畳み方がとても繊細で美しくて、コーヒーを注文したついでに思わずポンポンと自分の首あたりを叩きながら、「素敵! どんなふうになっているの?」と聞くと、「あ、ちょっと畳んだだけです」と小声で言うから、「いい気合ですね」と私。マスクから出た目と目で互いに笑い合ってそれで終わり、だと思っていたんだけどね。「さっきホメていただいてすごくうれしかったので、これ、気持ちです」 なんと、もうすぐ着陸態勢に入る直前に、さっきのスカーフCAが恥ずかしそうに小さなビニール袋に入れたキャンディーを差し出してくれたのよ。名残り惜しかった唐津の旅の最後の最後、トドメのようなひと幕になんかもう胸が熱くなっちゃった。 そういえば死んだ母ちゃんが「人には添うてみろ、馬には乗ってみろ」とよく言っていたけど、そうそう。先入観やイメージなんか何の意味もない。近くで見ないと何もわからないんだなと思ったのでした。【プロフィール】「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。※女性セブン2022年6月9日号
2022.05.28 11:00
女性セブン
追悼・橋田壽賀子さん 小林綾子がいまも心にとどめる『おしん』のせりふ
追悼・橋田壽賀子さん 小林綾子がいまも心にとどめる『おしん』のせりふ
 2021年は多くの著名人が天国に旅立った。人々に勇気や笑顔、そして、幸せを届けた彼らは、どんな言葉を残したのか。在りし日をよく知る人に、思い出に残る秘話を語ってもらった。 NHK連続テレビ小説『おしん』(1983年)をはじめ、『渡る世間は鬼ばかり』シリーズ(以下『渡鬼』/TBS系)など、故・橋田壽賀子さん(享年95)はドラマを通じて、女性の生き方、家族の在り方を生涯描き続けた。 橋田さんの作品に多く出演した小林綾子(49才)が思い出を振り返る。「5月10日、『橋田賞』授賞式後に開かれる、橋田先生の誕生日会に、私は毎年お招きいただきました。『おしん』に出ていた頃、現場に母が付き添っていたことから、橋田先生はいつも母のことを気にかけてくださり、お誕生日会でも、『お母さんはお元気?』と必ずお声をかけてくださって。いつもお優しい心遣いをなさるかたでしたね」(小林・以下同) 橋田さんからは出演したドラマを通じて多くのことを学んだ。「『おしん』も『渡鬼』も、根底には橋田先生が経験された戦争体験があると思います。先生はご自身が伝えたいことはせりふを通じて書かれていましたが、まさに、『おしん』がそうでした。 私がいまもなお、心にとどめているせりふがあります。 劇中でおしんと出会う脱走兵の俊作あんちゃん(中村雅俊・70才)が、観音様を彫りながら『人を恨んだり、傷つけたりしてはいけない。そういうことをすれば必ず自分に返ってくる。相手の気持ちになってみる、思い当たることがあれば自分が直す。相手を責めないで許してやることが大事。人を許せるようになってほしいんだ。人を愛することができれば、人から愛される人間になれる』というせりふです。 大人になって振り返ってみても、なんて深い言葉だろうと、いつも思い出しては心にしみ、自分に言い聞かせています。 また、『渡鬼』では、『人間はけんかをして成長する』ともおっしゃっていました。ドラマでは登場人物同士がよく衝突していましたが、ぶつかることでその先に、人としての成長があるのだと。それを胸に刻んで生きていくだけで人生は豊かになると感じます」【プロフィール】小林綾子/女優。ドラマ、舞台を中心に活動し、現在はNHK BSプレミアムドラマ『生きて、ふたたび 保護司・深谷善輔』に出演中。※女性セブン2022年1月6・13日号
2021.12.18 16:00
女性セブン
泉ピン子さんは橋田壽賀子さんを「ママ」と慕っていた(映画『おしん』製作発表にて/時事通信フォト)
泉ピン子が語る橋田壽賀子さんの最期 私が「管を抜いて」と言った
 自分の死に時くらい、自由に決めたい──長生きが必ずしも“幸せ”ではなくなってきたからこそ、「安楽死」や「尊厳死」が注目されている。苦しみながら生きるくらいなら、穏やかな死を選びたいと願う人は少なくないが、日本では議論も法整備も進んでいない。 今年4月4日、『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』など数多くの作品を手がけた脚本家の橋田壽賀子さんが、急性リンパ腫のため95歳で亡くなった。 橋田さんはかねて、「死に方くらい、自分で決めたい」と明かしていた。92歳の時に上梓した著書『安楽死で死なせて下さい』には、〈病院にせよ自宅にせよ、ただベッドに横たわって死を待つなら、そうなる前に死なせてほしい〉 と、綴られている。人に迷惑をかける前に死にたい──橋田さんの意思表明には大きな反響があり、「安楽死」や「尊厳死」を巡る議論に注目が集まるようになった。日本尊厳死協会理事の丹澤太良氏が解説する。「そもそも『安楽死』とは、医師による致死量の薬品投与などで死に至らせる“限りなく自殺に近い行為”を指します。一方、『尊厳死』は医学では手の施しようがない疾患で死期が目前に迫る患者が、人工呼吸器などの延命治療を拒否し、自然に近いかたちで死を迎え入れることを言います」 安楽死は、ベルギーやスイスなどでは合法だが、日本では法的に認められず、過去には関わった医師らが刑事罰に問われたこともある。尊厳死も法制化されておらず、「グレーゾーンの状態」(丹澤氏)となる。 そうした曖昧さもあり、本人が尊厳死を望んでいても周囲が延命治療を選択してしまうこともある。夫を先に亡くしていた橋田さんは前出の著書で、〈家族のいない私が昏睡状態にでもなったら、“最善の”延命措置をされてしまうに違いありません〉 と不安を綴っていた。実際には、どのような最期を迎えたのだろうか。橋田さんを“ママ”と慕って長年にわたり母娘のような交流を続け、最期を看取った女優の泉ピン子さん(73)に聞いた。「『(酸素吸入の)管を抜きますか?』と先生に聞かれて、『抜いてください』と伝えました。するとママは、眠るように、声も出さず亡くなりました」 そう明かす泉さんによれば、1か月ほどの入院生活を送っていた橋田さんは、本人の希望で4月3日に熱海の自宅に戻った。そして、翌日に息を引き取ったという。「亡くなった日は人工呼吸器をつけていて、すごく息が苦しそうに見えました。ママはずっと『老衰で死にたい』と言っていましたが、最期を決める家族が誰もいなかった。 先生に『管を抜くとどうなりますか?』と聞いたら、『息が浅くなり、苦しまずに楽になります』とおっしゃったので、ママの友達と一緒に『じゃあ、取ってください』とお伝えしました。そうすると、本当に息が浅くなって普通に寝ている状態のようになって……。『ママ!』って叫んだら一度パチッと目を開けて、私と目が合ったんです。それからまた目をつむって、そのまま息を引き取りました」私もあんな死に方がいい そんな橋田さんの最期を見て、「私もあんな死に方をしたいと思った」と、泉さんは語る。「病院から戻ったら、自宅の窓から満開の桜が見えて、『ママ、桜だよ』って。何十年もかけて大きくなった桜が、絵画のようになってね。それが、ママが亡くなったら雨が降って全部葉桜になったの。周りにはお手伝いさんや私や友達がいて。そんな理想的な死に方ってある? 最高ですよ」 結局、橋田さんが考えていた「安楽死」とは違うかたちとなったが、周囲からは穏やかな最期に見えたという。泉さんはこの経験を通して「死について考えた」と続ける。「いくら安楽死を望んでいても、死期に合わせて(外国人でも安楽死ができる)スイスに行けるわけではない。そもそも『100歳まで生きる』と言っていた人が、あんなに急に死ぬんですからね。ママを見て、『自分の思った通りには死ねないんだ』って、改めて難しさを感じました」 また、橋田さんの延命治療を止めたことについては、複雑な心境を語る。「ママは、本当は死ぬことが怖かったんじゃないかな、とも思うんです。口では『安楽死、安楽死』って言っていたけど、本当はすごく臆病で、もっと生きたかったんじゃないかな。そうでなければ、血液検査のために毎月2回も病院に通わないし、あんなにたくさん薬を飲まないでしょう。 でも、もし私が同じ立場だったら管を抜いてほしい。だから、その判断について後悔はしていないという気持ちです」 そう言った後に、「でも正直、ずっと後悔はするかな。間違いじゃなかったのかなって……」とも付け加えた。安楽死や尊厳死は、本人にとって重大な問題であるとともに、残された者にも葛藤がつきまとう。戒名はいりません 橋田さんは生前、エンディングノートを書いたと話していたというが、「亡くなってみたら、それがなかった」という。「全部細かく書いてあるって言ってたのにね……。ママが言っていたのは、『お別れ会をしないでくれ』『誰にも知らせないでくれ』だった。“華やかな葬式をしてくれ”って言うと思っていたから意外でした。 だからお葬式はごく簡単なものにして、霊柩車も使わず、ただのバンみたいな車。お棺も焼いちゃうんだから一番安い木にして、お葬式には39万円くらいしかかかってないの。お経は私があげて、戒名はいらないって言っていたから、『橋田壽賀子』ですよ」 そうして看取りを終え、改めて「死ぬことが人生で一番大変なんじゃないかな」と感じたという泉さん。この経験が、自分の“人生の終え方”を考えるきっかけにもなったと話す。「安楽死が日本の法律で認められれば私も望みますが、法制化されていない今の状況では反対です。 尊厳死は大賛成。認知症とかでよくわからなくなって夫に暴言を吐くとかは嫌だし、管だらけになるのも嫌だから『私が役者として人前に出られなくなったら殺して』と、(医師である)主人には伝えています。人間として、最期は尊厳を持ちたいの」 身近な人の死を側で見ることは、「生を見つめ直すきっかけ」にもなる。※週刊ポスト2021年6月18・25日号
2021.06.07 19:00
週刊ポスト
さまざまな脚本を世に残した
最期まで元気な姿だった橋田壽賀子さん「友達を作らない」理由とは
『おしん』(NHK)や『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)といった名作ドラマの数々を世に送り出した脚本家の橋田壽賀子さんが4月4日、静岡県熱海市の自宅で亡くなった。95歳だった。夫を送った後はおひとりさまを貫いた橋田さん。90才を超えてからの雑誌への寄稿や著書の中で、「人に迷惑をかけず、痛くなく死にたい」とも語っており、週3回のペースでパーソナルトレーニングにも通っていた。まさに、しっかりした頭と体のまま、生きることを全うした。 行きつけの店もあり長期にわたって親交を深めた仲間がいたにもかかわらず橋田さんは生前、何度も「友達はいないし、いらない」と語っていた。《私はベタっとしたのが嫌なんですよね。友達がいないというのがすごくさわやか》《私に生きていてほしいと思う人も、私がこの人のために生きたいという人もいません》 しかし、よく一緒に行きつけのお店に顔を見せていたプロデューサーの石井ふく子さん(94才)は「私たちの関係は友達以上だった」と振り返る。「最初に会ったのは、橋田さんが松竹を辞めた頃。話しているなかで『ホームドラマにこそ、サスペンスがある』って2人で息が合っちゃって。本来ならプロデューサーが脚本家を催促するのですが、橋田さんはとにかく筆が早くて、いつも『もう上がっているんだから早く原稿を取りに来てよ』とせかされました。言い合いもたくさんしたけれど、意見や感情をぶつけ合ってたくさんのいいドラマを作ることができた。あんな人は後にも先にもいません」(石井さん) 橋田さんは生前「友達をつくらない」と語った理由をこう明かしていた。「かつて『友達や家族など人間関係ができればそこに執着するし、期待してしまう。後から、もっとああすればよかったと後悔も生まれる。それが煩わしいから』とおっしゃっていました。だからピン子さんと一緒にクルーズ船旅行をしたときも、船室は別々。橋田さん流の“線引きの美学”があったから、ピン子さんが橋田さんの入れ歯を見たのはあんなに一緒にいたのに臨終のときが初めてだったそうです」(TBS関係者) シニア生活文化研究所代表の小谷みどりさんはこうした人間関係が今後ますます理想となってくると予測する。「いま、ひとり暮らしの高齢者は増加の一途を辿っています。結婚していても子供がいなかったり、90代になれば子供に先立たれていることも少なくない。 つまり、いま家族がいる、いないにかかわらず、最期はひとりになる人が爆発的に増えていくということ。だから元気なうちに“ちょっと話を聞いて”と言える人をたくさんつくっておいた方がいい。そういった人がつくれなければ、家族にしがみつくほかなくなってしまう。人生の最期にいい関係を築けるのは、必ずしも血縁とは限らないのです」 線引きされた人間関係を築きながら、終活にもぬかりなかった。特にこだわったのは、自宅で最期を迎えたいという願望だ。《もちろん自宅で死にたい。私は病院が嫌いなんです。家の中で倒れても救急車は呼ばないで、と周囲にも伝えています》 橋田さんはそんなふうに「在宅死願望」を2017年、本誌・女性セブンに明かしている。 立川在宅ケアクリニック院長の荘司輝昭さんは在宅死を希望する場合、表明しておくことの重要性を指摘する。「きちんと自分の意思がわかるようにしておかなければ家で意識を失ったとき、救急車を呼ばれてしまい病院に搬送され、延命治療が行われることになる。自宅で最期を迎えたいなら、しっかり看取りまでしてくれる主治医との関係をつくっておくことが重要です」 死に方に加え、死後の身の振り方も、橋田さんは完璧に手配していた。かつて女性セブンのインタビューに答えた橋田さんは、亡き姑から「壽賀子はうちのお墓に入れない」と言い渡されたことを明かしたうえで、こう話していた。《夫婦が一緒になれるお墓を静岡に購入して、そこにはお骨の代わりにふたりの記念品を入れようと思っています。主人が愛した時計と、主人から贈られた私の大切な時計です。それで仲よく収まるつもりです》 いまはふたり、穏やかな時を刻んでいるのだろう。夫の岩崎嘉一さんとの仲を取り持った石井さんが当時を振り返って語る。「いつもすぐに脚本を上げてくる橋田さんから急に『書けない』と連絡が来たんです。『どうしたの、体調が悪いの?』と聞くと『違うの、好きな人ができて、本が書けない』とポツリ。あまりのことに『え~? あなたでもそんなこと言う?』って言っちゃった(笑い)。とにかく本が上がらないと困るから、『どなた?』と聞いて、幸い同じ職場だったから、電話して、『橋田壽賀子さんがあなたのことが好きになっちゃって、書けなくなって困ってるのよ』って伝えて、それがきっかけで交際が始まりました。(夫の)岩崎(嘉一)さんはわりあいワンマンで、橋田さんは『夫の前では仕事をしない』と自分に課して会社に行っている間に一生懸命書いていました。だからこそあんなに面白い作品が書けたのだと思います」 国民的ドラマの女王は、自身の生涯も、拍手喝采の大団円で幕を下ろした。※女性セブン2021年4月29日号
2021.04.20 19:00
女性セブン
橋田壽賀子さん 『おしん』に込めた「大切なもの」「女性の自立」
橋田壽賀子さん 『おしん』に込めた「大切なもの」「女性の自立」
『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)、『おんな太閤記』(NHK)などいくつもの名ドラマを世に送り出した橋田壽賀子さん(享年95)が旅立った。市井に生きる女性に焦点を当てたドラマはお茶の間に愛され、なかでも大きなヒットとなったのが『おしん』(NHK連続テレビ小説)だろう。 平均視聴率は52.6%、最高視聴率は62.9%とテレビドラマ史上最高視聴率を誇り、日本国内のみならず海外60か国以上で放送された。なにより、1983年の放送から約40年が経ったいまでも作品の魅力は色褪せることはなく、まさに国境も時代も超えた名作。その名作に橋田さんはどんな「人生哲学」を込めたのか。私たちに問いかけられる「大切なもの」『おしん』が放送されたのはバブル景気直前。もはや戦後、ではもちろんなく、人々は好景気に浮かれていた。そんな時代になぜ、明治から戦中、戦後の苦労がブームになったのか。少女時代のおしん役を演じた小林綾子は橋田さんの言葉をこう振り返る。「先生は、“高度成長の時代に、どんどん豊かになっているけれど、それとは逆に大切なものを忘れているのではないか”とおっしゃっていました。それを見つめ直すために『おしん』を書かれたそうです」。物にあふれ満たされているはずなのに、心が貧しくなっているのではないか、と危惧していたという。 お金を払えばなんでも手に入る時代だったからこそ『おしん』が生まれたと話すのは、メディア文化評論家の碓井広義さんだ。「どこかでみな、“本当にこれがずっと続くのかな?”“これでいいのかな?”と無意識の不安感のようなものがあったのではないかと思います。この好景気があるのは誰のおかげか。明治、大正、昭和の時代に苦労を重ねてきた先人たちがあってこその“いま”であることを忘れていませんか?というメッセージだったのだと思います。 反戦・平和思想を強く持たれていた橋田先生ですから、戦争を引き起こす物質的な豊かさを追い求めるのではなく、心の豊かさ、心の平和の大切さを訴えていたのでしょう。誠実に生きるおしんの姿がそれを見せてくれていると思います」。おしんは「女性の自立」の象徴だった 髪結いとして働いているときに出会った田倉と結婚したおしんだが、その後も苦労の連続。子供を抱えながら働く姿は、当時注目されていた“女性の社会進出”を体現していた。「それは決して社会的になにかリーダーになるとかではなくて、一市民として生きる女性が堂々と自分自身を確立していくプロセスです。浮かれた時代に、女性というのはどーんと構えて地に足がついているんだ、ということも伝えたかったのだと感じます」(前出・碓井さん)。 男だらけの映画・脚本の世界にたったひとりで挑んだ橋田さん。苛烈なパワハラを受け、イヤというほど理不尽を味わったというが、「お茶くみをするために会社に入ったわけではない」と啖呵をきって10年勤めた松竹を辞めたとき、橋田さんの胸にあった信念こそ「私は、私の道を行くしかない」だったのだ。 バブル崩壊、不況、震災、そしてコロナ禍と、暗く先の見えない時代に何度でも『おしん』に励まされるのは、「命以外すべて失うことを何度経験しても、人のせいにせず、自分自身の力で立ち上がる。その姿に勇気をもらう」(前出・碓井さん)からではないか。写真/共同通信社※女性セブン2021年4月29日号
2021.04.17 16:00
女性セブン
「大衆に受け入れられてこそ価値のある作品」がモットーだった
自分で決めた大往生 橋田壽賀子さんが最後に書いた「理想の結末」
「私が死んでも悲しまなくてもいいのよ。千の風になってあなたの周りにいるから」──。生前、その豪邸の家主は、近しい人にそう語っていた。海抜400m地点にある自宅の前には紺碧の海が広がり、晴れた日には房総半島や伊豆大島まで一望できる。車や人の往来はほとんどなく、静けさのなかで聞こえてくるのは鳥の囀りばかりだ。そこは静岡県熱海市にある鉄筋3階建ての一戸建て。4月4日午前9時13分、その家でひっそりと息を引き取ったのは脚本家の橋田壽賀子さん(享年95)だ。「亡くなる前日に熱海市内の病院から自宅に戻りました。死の床では長年、ドラマでタッグを組んだ泉ピン子さん(73才)がつきっきりで、目を閉じて横たわる橋田さんに『ママ! ママ!』と声をかけていました。その声を聞くと、橋田さんは別れの挨拶をするかのように目を開きましたが、徐々に反応がなくなっていったそうです」(TBS関係者) 最期は“愛娘”に化粧を施されて、旅立った。その部屋には『千の風になって』が流れていた──。 1925(大正14)年、京城(現在の韓国・ソウル)に生まれた橋田さんは戦後に松竹の脚本部を経て、1959年にフリーの脚本家になった。1983年のNHK連続テレビ小説『おしん』は最高視聴率62.9%を記録し、1990年に始まった『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)は国民的人気ドラマになった。橋田さんの描く、逆境に耐えて生き抜く芯の強いヒロインは、世の女性に大きな勇気をもたらした。 昨年3月に志村けんさん(享年70)が亡くなってからはコロナ対策に慎重になり、外出を控えるようになった。「今年に入り倦怠感や体重の減少がみられるようになり、2月に急性リンパ腫の治療で都内の病院に入院し、3月中旬に熱海市内の病院に転院しました。コロナ禍が始まると、同じく熱海に住むピン子さんにほとんど会えませんでしたが、入院してからはピン子さんが面倒をみていたそうです」(前出・TBS関係者) そして前述の通り、亡くなる前日に橋田さんは愛する自宅に戻ってきた。「熱海の自宅で最期を迎えることは、橋田さんのたっての希望でした。橋田さんは、自宅での死をずっと望んでいたんです」(芸能関係者)静岡の墓所で夫の時計と眠る 晩年の橋田さんがこだわったのが「安楽死」だ。2017年に『安楽死で死なせて下さい』(文春新書)を書き、超高齢化社会に一石を投じた。当時の女性セブンのインタビュー(2017年11月30日・12月7日号)では、安楽死を望む理由をこう語っている。《90才を過ぎ、足は痛いわ背中は痛いわ、もう体の衰えがひどいからです。夫が28年前に亡くなり、子供もおらず、親戚づきあいもしてこなかったので天涯孤独の身。例えば認知症になったり、半身不随で寝たきりになったりすると、下の世話まで人手を借りなければならない。人に迷惑をかけます。私はその前に死にたい。かつ、痛みの中では死にたくない。それで「安楽死したい」と言っているんです》 その思想の中心にあるのは「何も残さず、誰にも迷惑をかけず、安らかに逝きたい」という信念にほかならない。それは、いわゆる“自殺願望者”が持つ死への憧れとはまったく違う。むしろその真逆で、橋田さんの「自分で死に方を決める」という意識は、「死ぬ間際までキッチリと生を謳歌する」という強い決心になっていたのだ。 橋田さんは月に1度の血液検査を欠かさず、人間ドックも頻繁に受けた。健康マニアといっていいほど、健康管理や体力維持に熱心だった。「90才を超えてからも週2~3回は熱海のジムに通って1時間ほど筋トレを行い、自宅でもバランスボールを使って体幹を鍛えていました。食事にも気を使い、運動前は梅干しや黒豆など軽めの食事ですませ、運動後の昼食はしっかり食べていました。そのほかの時間はテレビを見ることが多く、水谷豊さん(68才)主演の『相棒』シリーズ(テレビ朝日系)がお気に入りでした。夜12時には必ずお休みになっていました」(前出・芸能関係者) 橋田さんの原体験も、そうした生への執着につながっているはずだ。筋金入りの軍国少女だった橋田さんは当時死ぬ覚悟ができていたが、戦争で奪われた多くの命を見て生命の尊さを知り、さまざまなことにありがとうと感謝するようになった。戦後になると「本当の幸せや豊かさとは何か」を追求し、その問題意識を、貧しいながらたくましく生きる「おしん」の姿に投影した。 一方で橋田さんは両親を早くに亡くし、1966年に41才で結婚したTBSプロデューサーの夫・岩崎嘉一さん(享年60)とも1989年に死別した。「その際、夫の家庭の事情で同じお墓に入れないことがわかったそうです。寂しい気持ちになったときに慰められた曲が『千の風になって』でした。曲を聴いて、『夫はお墓の中にはいない、千の風になって、広い空を飛んでいるんだ』と思うようになったそうです」(前出・芸能関係者) その後、度重なる病気を患うなかで、「健康なままで死にたい」という思いが強くなっていく。「橋田さんは80才手前で狭窄症を患って2度の手術を受けてから、『また悪くなったとき、治療や延命で人に迷惑をかけてまで生き続けたくない』と思うようになりました。2019年2月には、豪華クルーズ船でベトナム航行中に下血して意識を失い、最寄りの病院でたくさんの管につながれて身動きが取れないまま集中治療を受けました。その際、『こんなつらい状態で生きるなら、死んだ方がましだ』との思いを一層強くしたそうです」(テレビ局関係者) 89才で「立つ鳥跡を濁さず」と胸に誓って終活に取り組むようになり、作品関係の資料や私物の整理を始めた。「終活ノートをつけて、死に臨む際の注意点を書き残しました。真っ先に記したのは、『延命治療はしないでほしい』と、『葬式や偲ぶ会は行わず、死んだことは誰にも知らせないでほしい』ということで、遺産はすべて自身の財団に寄付する方針です。 いくつになっても死を恐れる人が多いですが、橋田さんは一切ひるむことなく、『世間に知られずに死ぬのが理想。私を偲んでくれるかたがいるとしても、心の中で思い出してくれるだけで充分よ』と語っていました」(前出・テレビ局関係者) 残された者に負担をかけることを避けるため、生前にお墓の準備をすませた。遺骨は愛媛県にある橋田さんの両親のお墓に納められる予定だ。 そしてもう1つだけ──。「ご主人と橋田さんが生前に愛用していた時計は、静岡県にある墓所に一緒に入る手はずです。『なぜ時計なのですか』と問うと、橋田さんは、『主人と私はふたりで時を刻んできましたから』と優しく答えてくれました」(前出・TBS関係者) 入院直前まで元気に過ごし、入院から約1か月で旅立った。本当に誰にも迷惑をかけない、“自分で決めた死に方”で大往生を遂げた。これが脚本家の彼女が最後に書いた「理想の結末」だった。※女性セブン2021年4月22日号
2021.04.08 11:00
女性セブン
現在は週3回、個人トレーナーについてトレーニングを行ったり、独身時代からの友人とよく一緒に旅をする。ともに夫を見送り、気楽な立場だ(撮影/森浩司)
橋田壽賀子さんが決めた「渡鬼」「おしん」で描きたかったこと
 脚本家の橋田壽賀子さんが4月4日、熱海市内の自宅で亡くなった。95歳だった。数ある代表作の中で特に知られるのが『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)と連続テレビ小説『おしん』(NHK)だ。橋田さんをこれまで何度も取材してきたコラムニストのペリー荻野さんが、橋田さんが両作品を通じて伝えたかったことについて綴る。 * * * 亡くなった橋田壽賀子さんは、一貫して「家族」を描き続けた。 その代表作といえば、やはり30年続いた『渡る世間は鬼ばかり』だろう。サラリーマンを辞めて自宅で料理屋を開いた夫婦(藤岡琢也・泉ピン子、のちに宇津井健・山岡久乃)と五人の娘たちの物語。結婚し、子育てに忙しい娘、ラーメン屋で姑とぶつかりながら働く娘、離婚した娘、資格を持ってバリバリ仕事をする娘、さまざまな環境で暮らす家族の日々を描いた。 番組のスタートは1990年。バブルに浮かれ、トレンディドラマ全盛の日本では異色にも見えた「ふつうの家族の物語」は、多くの支持を集め、「渡鬼」の愛称で国民的なシリーズに。五月(泉ピン子)が働く「幸楽」のラーメンが商品化されるなど、話題となった。 私はドラマの現場取材を続け、橋田さんにも幾度かインタビューする機会があった。そこで印象的だったのは、橋田さんが「時代を書くこと」を心がけているという話だった。  五月が初めて使う携帯電話に戸惑ったり、夫の勇(角野卓造)がおやじバンドを結成したりと、「あるある」と同世代の視聴者の共感を呼ぶ場面は数知れず。(おやじバンド主要メンバーの山本コータローは、小笠原に行く船の中で演奏する姿がステキだったからと、橋田さんがその場で出演スカウトしたという)時を経て、子が巣立ち「空きの巣症候群」で孤独になる長女、小姑たちに悩まされる次女、キャリアウーマンの三女、恋多き女の四女、ファザコンの五女。岡倉家の五人娘は、悩みながらも自分の道を見つけていく。あまり知られていないが、このドラマの大きなテーマは「自立」なのであった。 もうひとつ意外とも思えるテーマで書かれたのが、1983年、朝ドラ『おしん』だ。東北の寒村から、いかだ船に載せられて奉公に出た少女おしんが、明治・大正・昭和と激動の時代を生き抜く。 もともと『おしん』は、橋田さんが学生時代に疎開していた山形で、昔は女の子が最上川からいかだ船に乗って奉公に出たと聞いて、いつか書きたいと思ったのが始まりだった。貧困、いじめ、修行、大切な人との別れ。おしん(田中裕子)は夫と出会い、子を授かるが関東大震災ですべてを失う。さらに戦争で大事な家族まで…。 瞬間最高視聴率は日本のドラマ史上最高の62.9%を記録。平均視聴率も50%を超え、世界各国で放送されて、大きな反響を呼んだ。橋田さんは、北極へ行く船の中で、同行していた泉ピン子を見かけた台湾の人たちが「おしんママ!」と感激するのを見て、びっくりしたという。 貧しさや苦難に負けないおしんの姿に“辛抱が大事”というテーマを感じ取った視聴者は多かった。「おしん、辛抱」は流行語になった。しかし、橋田さんが描きたかった大事なテーマは、身の丈にあった暮らしの大切さ、「人生足るを知る」ことだった。ちょうどバブル前で世の中が浮かれ始めていた時期。戦後、食べ物があるだけで幸せと思いながら生きてきた橋田さんは、欲を出しすぎると危ないと思っていたのだ。 もっとも、あまりに要望が強いので、橋田さん本人も観念し、色紙には『おしん辛抱』と書いていたのよ、と笑っていた。こんなお茶目なところも、多くのスタッフ、俳優陣に慕われた理由だろう。コロナ禍に立ち向かう日本の家族を橋田さんならどう書いたか。観たかった。
2021.04.06 19:00
NEWSポストセブン
片山雛子、野島香世、田倉清 名作ドラマを彩った悪女たち
片山雛子、野島香世、田倉清 名作ドラマを彩った悪女たち
 高視聴率を叩き出しているドラマ『半沢直樹』(TBS系)は悪役の見本市だ。振り返れば、名作ドラマには強烈な悪役がいたものである。『半沢』の白井亜希子(江口のりこ)のように、「女性の悪役」もドラマに欠かせない。 同じ女性政治家役で視聴者に強烈なインパクトを与えたのが、『相棒』(2004年・テレ朝系)シリーズの片山雛子(木村佳乃)だ。 外務大臣だった父の地盤を継いだ有望株の女性衆議院議員だが、政界で事件がある度にそれを利用してのし上がっていく。コラムニストの吉田潮氏はこう話す。「ただじゃ転ばない野心家で、その貪欲な姿は小池百合子と稲田朋美を掛け合わせたような存在です。スーツ姿がとても似合う女優なので、またカチッとしたスーツを着て、別のインテリ悪女を演じてほしい」 恋愛ドラマでも悪女が重要な役回りを演じる。なかでも昼ドラ『牡丹と薔薇』(2004年・フジ系)の野島香世(小沢真珠)は衝撃的だった。「目をむいて『役立たずのブタ!』などと激しく罵る姿は、かつての清純派イメージをかなぐり捨てるような好演でした」(ドラマ評論家の田幸和歌子氏)『誘惑』(1990年・TBS系)の佳沢妙子(紺野美沙子)も外せない。「主人公の藤家美冴(篠ひろ子)の夫・芳行(林隆三)を誘惑し、家庭を壊そうと画策する。息子の雄介(吉田栄作)にも粉をかけるわ、謎の男を使って美冴を落とそうとするわの策士ぶりだった」(吉田氏)“嫌われ役”の姑が注目を浴びたのが、NHK朝ドラ『おしん』(1983年)の田倉清(高森和子)だ。田幸氏が振り返る。「姑役として、高森さん演じる清を超えるいびり役はいませんね。おしんが身重になっても田植えなどをガンガンさせるし、少しでも働かないと『働かずに飯を食うのか』といびり倒す。舞台が佐賀だったため、『佐賀のイメージが悪くなる』と苦情が出たほどでした」 吉田氏は『ごちそうさん』(2013年)の西門和枝(キムラ緑子)を推す。「和枝は、主人公のめ以子(杏)が息子の悠太郎(東出昌大)と結婚しても、入籍させずに女中扱い。め以子が作った膳をひっくり返して床を舐めさせるという理不尽すぎるいびりは強烈でした」 和枝に対してはSNSで〈見てられない〉〈ひくレベル〉などの声が上がったが、「和枝がいなくなると物語がトーンダウンし、再登場すると一気に盛り上がりました」(田幸氏) というから、やっぱり悪い姑が「見たかった」わけだ。 いじめっ子が脚光を浴びたケースもある。「『スチュワーデス物語』(1983年・TBS系)で、主人公・松本千秋(堀ちえみ)が憧れる教官・村沢浩(風間杜夫)の恋人役の新藤真理子(片平なぎさ)。事故で手を失って義手になった真理子が、その責任を村沢のせいにして、村沢も負い目を感じている。真理子が手袋を外しながら『ひろし……』と迫る、憎しみと恨みとゆがんだ愛を醸し出すシーンは忘れられない」(吉田氏) テレビ解説者の木村隆志氏が語る。「以前は、いじめっ子や権威ある地位の人間など分かりやすい悪役がメインでしたが、2000年代に入ると悪役も多様化してきて演者や作り手、視聴者がどう楽しむのかというところに焦点が集まってきている。例えば、警察ものなら上層部というお決まりパターンをいかに外すのか。その一方で『半沢』や『ドクターX』のようなシリーズものである種の分かりやすい巨悪を提示する作品もある」“名悪役”たちがいるからこそドラマの深みが増すのである。※週刊ポスト2020年9月18・25日号
2020.09.17 07:00
週刊ポスト
番組公式サイトより
『捨ててよ、安達さん。』は当て書き炸裂のオンリーワン劇場
 コロナによる撮影延期で、多くが放送スケジュールの大幅な修正を余儀なくされている今季のドラマだが、放映が続いている作品もある。ドラマウォッチを続ける作家で五感生活研究所の山下柚実氏が分析した。 * * * 画面を眺めてニヤニヤしたり、息をのんだり、うなずいたり、ほっこりしたり。純文学のように心をくすぐり、詩のように透明感があって、フォークソングのように愛らしく、上質なコメディのように笑いが出る……こんなドラマ、なかなか見たことがない。とはいえ極力お金はかけてなさそう。一話完結型、登場人物はたいてい3~4人。セリフ中心でロケも少なく、衣装もセットも凡庸。 でも、一話一話が輝いている。物語の力に浄化される。テレビ東京の深夜枠で放送中の『捨ててよ、安達さん。』(金曜24:52)です。芸歴36年目、“自身役”で主演を務める安達祐実のリアル&フィクションストーリーというこのドラマ。 物語は……安達さんが女性誌の編集長から「毎号一つ私物を捨てる」という連載企画を持ちかけられるところから始まる。象徴的なのが第1話のエピソード。「同情するなら金をくれ」というあの安達さんの代表作がダビングされた、完パケDVDが俎上にのせられるのです。あれ、この話題ふってもいいのかな? タブーでは? と視聴者もちょっと慌ててしまう。「同情するなら~」は社会現象になったセリフ。26年前のドラマ『家なき子』は最高視聴率37.2%を記録、安達さんにとって世間に名を知らしめた大作です。であると同時に、もしかしたら触れられたくない暗黒史かもしれません。安達さんと聞けば「同情するなら~」のセリフが耳の奥で響いてしまうほどにインパクトは巨大。本人を縛るやっかいな過去。今でも「地上波での再放送は一度もない」のだとか。「『不幸な境遇の安達がけなげに生きる姿が共感を呼びましたが、いまの時代では、安達へのいじめ描写が貧困家庭への差別を助長しかねないとして、再放送には慎重になっている』(日テレ関係者)」(「NEWSポストセブン」2020/5/11)。 さてドラマの中では、安達さんに見られないまま本棚に放置されていたそのDVDが、ある時突然分身の女(貫地谷しほり)として現れ、安達さんに迫る。「同情するなら見ておくれ、見ないなら捨てろ」と。捨てるのかどうか、まさしくドラマチックな決断です。視聴者は固唾を飲んで見守ることに。もうシビれます、この展開。 炸裂しているのが「当て書き」の力でしょう。「当て書き」とは特定の役者にむけ当てて書かれたセリフのこと。かつて江戸の歌舞伎では、戯作者が人気歌舞伎役者の個性を最大限に生かすためにその手法を使っては大人気を博しました。 しかし、現代においてはあまり多用されない。極端に再現性が少ないからかもしれません。舞台の戯曲は他の役者によって繰り返し上演されますが、当て書きだとそれができず効率性が悪いからなのか。このドラマは、当て書き手法を駆使して「安達さん」の個性的な歴史を掘り起こし安達さんならではのオンリーワン劇場を作り出していきます。 ドラマの中で「捨てる対象」として挙がるのが代表作のDVDの他に、心づくしの凝った手作り時計だったり、誰からも好かれたいという自意識だったり、元夫からの婚約指輪だったり。特に指輪の回は、あの芸人から贈られたものかとネットも騒然。 下田悠子さんの脚本が素晴らしく、セリフは説明的でなくてまるで詩のような余韻を残します。大九明子さんの演出もチャーミングで、遊び心に溢れた子役(川上凛子)の使い方、大胆なアップ画面、舞台のようなスポットライトの使い方も面白い。Vaundyによるオープニング曲と SpecialThanks のエンディング曲、すべてが心揺さぶる一つのパッケージとして結晶しています。『捨ててよ、安達さん。』というタイトルの意味するところは、「簡単に捨てられないものがある」ということであり、「人は自分を縛るものからいかに自由になれるのか」がテーマです。 そう考えてみると、安達さんのように「重たすぎて捨てにくい過去作」を持つ役者さんって……例えば『おしん』の小林綾子さんとか『金八先生』の武田鉄矢さん? 多くは思い浮かばない。誰もができるような安易な設定ではない、ということでしょう。 毎話の最後に「この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは関係がありませんが、実在する安達祐実と少々関係がございます」の文字が映し出されて笑ってしまいます。このドラマは今話題のリアリティーショーの、いわば肯定的側面として成功した事例と言えるのかもしれません。パロディと哲学と絵本を掛け合わせたみたいなみずみずしい世界に思わず「負けるな、安達さん!」と心の中で叫んでいる自分がいます。
2020.05.29 16:00
NEWSポストセブン
再編集版『JIN-仁-レジェンド』全6回が2桁視聴率記録の背景
再編集版『JIN-仁-レジェンド』全6回が2桁視聴率記録の背景
 再放送ドラマが話題だが、当然のことながらすべてのドラマが数字をとるわけではない。“勝ち組”は何が違うのか。ドラマウォッチを続ける作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が分析した。 * * * 地上波では放送局が各シーズンさまざまな新作ドラマを作り、工夫を凝らして視聴率を獲得すべくしのぎを削ってきました。ところが新型コロナ感染拡大で、それもストップ。すでに放送された過去作品を再放送したところ、想像以上の人気を得て2桁視聴率も獲得し注目を集めています。4月18日~5月3日までの土日に放送された『JIN-仁-レジェンド』(TBS系)は、再編集版全6回のすべてが「2桁の視聴率に届いた」と話題になりました。 その高い数字はいったい何を指し示しているのか? 登場人物も結末もわかっているのに。再放送の人気からどんな意味を読み取るべきでしょうか?『JIN-仁-』は……大沢たかお主演、2009年10月期、2011年4月期に放送されて人気となったドラマ。現代から江戸・幕末へとタイムスリップした主人公の医師・南方仁。医療技術を駆使してコロリに感染し苦しむ人や梅毒を患う吉原の女などを救うべく必死に治療にあたり、懸命に生きる事の大切さを浮かび上がらせていくヒューマンドラマです。 今の新型コロナによる医療崩壊の危機と重ね合わせて見た人も多かったはず。しかし、新型コロナとの二重写し、あるいは多くの人が自宅に巣ごもりしていたから、という理由だけでは片付けられない「何か」が、高視聴率獲得の背景にありそうです。 そもそも「繰り返し見ることに耐えられる作品のクオリティ」とは何なのでしょう? 再放送されることで一段と評価を上げる作品とは? その「5つの力/条件」について考えてみると……。【1】役者の力--演じる役者が輝き、張り切り、作品にかけている気迫が感じられること【2】脚本の力--描かれる人物像が単純ではなく、多面的な性質を持つこと【3】時代を描く力--様々な社会背景がストーリーに加味され投影されて物語に奥行きがあること【4】テーマの力--主題・メッセージがしっかり存在していること【5】映像の力--カメラワークや色調の工夫、ロケ等で映画のような立体的な世界を感じさせること 上記の条件が複数重なりあったところに、繰り返しの視聴に耐えうる味わいあるドラマが生まれてくるのではないでしょうか?『JIN』だけではありません。例えばNHKBSで今年3月まで1年間再放送されて話題となった連続テレビ小説『おしん』。当初、単なる貧乏といじめの物語だと誤解していた私自身も全編逃さずに見ることになりました。見ざるを得ない迫力と展開力がこのドラマの中にありました。 まず役者が凄かった。『おしん』といえば幼少時の小林綾子が有名ですが、中年のおしんを演じた田中裕子、老年期まで演じた乙羽信子、その女優リレーの迫力たるやアッパレの一言。眼を離せない勢いで、魂を揺さぶられた視聴者も多かったはずです。 時代背景は明治・大正・昭和の激動期。貧農から出発したおしんは、商才に恵まれ飲み屋、魚屋、そしてスーパー経営へと時代と共に新業態を展開していく。ビジネスストーリーとしても面白い上、労働運動や反戦思想も絡んで社会が描かれ、結婚による嫁と姑の対立は文化的摩擦の物語として活写されました。そう、この再放送は、時代の中に風化していた「宝物」を再発掘する好機になったのでした。 一方、『JIN』の場合は比較的新しい作品のため、視聴者の多くは初見ではなく、物語の内容も憶えている。「結末」も知っている。ですから再放送を見る時は「筋書き」を追う以上に、このドラマがたしかに放っていた独特の空気感、役者の演技の迫力、世界観の魅力にもう一度触れ没入したい、感動したい、という気持ちで画面に向かったのではないでしょうか。 今回の成功を踏まえて、今後はさらに再放送が増えていくはず。実際にTBSは1月期に放送されたばかりの竹内涼真主演『テセウスの船』を、5月11日から再放送しています。そう、優れた作品は一回見たからといって消費し終えることはできない。見るたびに発見があり気付きがあり楽しい。そんなドラマが見たいし、これからも生まれてきて欲しい。個人的には『JIN』を手がけた監督・平川雄一朗氏の過去作品『天皇の料理番』の中で初々しい料理人を演じた佐藤健の姿を、もう一度見てみたいものです。
2020.05.16 16:00
NEWSポストセブン
渡辺えり 芝居の話ばかりしていた中村勘三郎との思い出
渡辺えり 芝居の話ばかりしていた中村勘三郎との思い出
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、女優の渡辺えりが十八代目中村勘三郎との思い出について語った言葉をお届けする。 * * * 渡辺えりは一九八七年のテレビドラマ『ばら色の人生』で十八代目中村勘三郎と共演。それ以来、友情関係を築いてきた。「本当に親友ですね。初めて会った時から気が合って、芝居の話を毎日していましたから。 楽屋でも話して、それでも足りなくて哲明さん(※勘三郎の本名)のうちまで行って喋っていました。芝居の話しかしていません。あれだけ芝居が好きで熱がある人も珍しい。凄く貪欲にいろんなことを聞きにきて、『こっちの方がいいんじゃない?』と言うと、すぐにその場で直す柔軟性もあって。 お会いした頃に哲明さんが言ってたのは、『歌舞伎以外の人を歌舞伎座に出す』『ニューヨークで歌舞伎をする』『テントで歌舞伎をする』の三つでした。できるのかな、と思っていたら、その三つとも五十を過ぎて実現しているんですよね。 テントについては、太地喜和子さんに唐十郎さんの芝居に連れていってもらってショックを受けたそうです。元々は歌舞伎もそういうものだったと。つまり、歌舞伎もかつては現代劇で、唐さんみたいにやっていた。だから自分もいつか──と考えて始まったのが平成中村座でした。 その時、『だんまり』のシーンを真っ暗にしてやっていたんです。でも、これは明るい中で所作を見せるシュールさが魅力で、リアルにやるなら、なくていいわけです。そのことをお話ししたら、『そうだね』って、次から変えてくれるくらい、私のことを信頼してくれていました」 舞台『有頂天作家』の東京公演は中止となったが、新橋演舞場で公演されるはずだった。「ここも哲明さんが誘ってくれて出た『浅草パラダイス』をはじめ、亡くなるまで何本もやった思い出深い劇場です。 地方からバスで楽しみに来ていただいて、凄く喜んでくださるのが嬉しいです。商業演劇のお客さんは『待ってました!』みたいな声がかかったりして、喜んでくださることがこちらにも伝わってくるんです。『有頂天作家』も思い出深い作品で。哲明さんと親しくなった頃に杉村春子さんとも親しくなりまして、いつか私の芝居に出ると約束してくれていました。その杉村さんに誘われて観たのが『有頂天作家』でした。初演は『恋ぶみ屋一葉』という題名で、杉村さんが素晴らしかった。 今回、杉村さんの役はキムラ緑子ちゃんがやるんですよ。私は初演では乙羽信子さんがおやりになった役です。 乙羽さんとは『おしん』で共演して、本当に良い方でした。印象的だったのは、おしんをいじめてきたことを乙羽さんに謝りにいくシーン。私のセリフは十ページあったんです。それを必死に覚えて、本番で澱みなく喋ったら、『いやあ、おとらさん、よかった。頑張ったわね』って拍手をくれました。 知的でリベラルな思想の持ち主で、『恋風』で森光子さんとやった時も『光ちゃんの引き立て役をやってくれて本当にありがとう』と楽屋まで来て誉めてくれたり。そんな乙羽さんを思い出しながら演じています」●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。※週刊ポスト2020年4月17日号
2020.04.09 07:00
週刊ポスト
渡辺えり 舞台人がTVに出るのは『身を売る』と言われた過去
渡辺えり 舞台人がTVに出るのは『身を売る』と言われた過去
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、女優の渡辺えりが朝の連続テレビ小説『おしん』に出演したときの思い出、商業演劇にも出演するようになって気づいたことについて語った言葉をお届けする。 * * * 渡辺えりは一九八三年、NHK朝の連続テレビ小説『おしん』への出演をきっかけに、世間的な知名度を高めることになる。「今では信じられないのですが、当時は舞台人がテレビに出るのは『身を売る』なんて言われて、やってはいけないことでした。 その頃、年に二、三度ずつ芝居をしていたのですが、みんな疲弊しちゃったんです。それで、一緒に舞台をやっていたもたいまさこが『一年休止しよう。続けたら破産する』って。そんな時、『おしん』に出ることになりました。 最初は『一回だけ』という話でしたが、橋田壽賀子さんが凄く気に入ってくれて。それで一年間出ることになりました。ちょうど舞台の公演を休んでいたので出られたんですよね。『おしん』は同録の撮影でしたので、舞台みたいでした。セリフをあらかじめ全て覚えていって、たとえば泉ピン子さんがたっぷりした芝居をすると私と吉岡祐一さんの夫婦が早口で喋って十五分で収めたり。ですから、違和感はありませんでした。 出る人も撮る人も演劇青年ばかりで、飲み会もしょっちゅうでした。夜中の二時まで撮影して、その後みんなで飲みにいっても、翌朝八時にはちゃんと撮っている。五、六人いた演出家も参加しましたし、田中裕子さんや吉岡さんも。テーブルを叩きながら激論をかわしたから、翌朝手が動かないこともありました。今の人は合理的な方が多いので、そういうことをしていたら嫌われちゃいますが」 その後はテレビドラマ、映画でも主役・脇役の双方で数多く出演、舞台公演も合わせて多忙な日々を送ってきた。「安心感を覚えたことはないですね。いつも劇団の公演とマスコミ出演に追われて、自分が遊ぶ時間は全くありませんでした。ホッとしたこともないです。 今はそのことを後悔しています。ただただガムシャラにやってきて、もうちょっと立ち止まって考えればよかったんじゃないのか──みたいな。 一番の後悔は子供を作れなかったことです。仕事を受け続けていると、女の人は大変なんです。でも、周りの乗せている人たちは面倒をみてはくれません。商品としての私を売り出していく──というのがありますから。 当時はあまりに乗せられて、それも嬉しくて。頼む時って、みんな優しいんです。で、断ると凄く嫌な顔をする。ニコニコした顔が見たくて仕事を受けていたんだなと思います。 劇団員にしても、みんなに頼まれたら嬉しいし、やりたいし。それで受け続けてきて、いまだにずっと続いています」 九一年の『楡家の人びと』からは商業演劇にも出演している。「最初は嫌でした。演劇は芸術であり社会の啓蒙運動だから、お金を貰ってはいけない、と。 でも八千草薫さんに誘われて『楡家の人びと』に出たら、やりやすかった。芝居のキャッチボールが上手いんです。全て受けてくれるから、自分だけが頑張る必要がない。劇団の新人は修業途中の不器用な人が多いから、モノローグはうまくても対話が苦手な人が多いんです」*出演舞台「有頂天作家」4月、大阪松竹座で公演予定。●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。※週刊ポスト2020年4月10日号
2020.04.02 07:00
週刊ポスト
白鵬でも6位なら上位は誰なのか(時事通信フォト)
史上最強の横綱1000人アンケート 白鵬6位、双羽黒15位
 長く続いた白鵬一強の時代が終わりを迎えるのか? 世代交代を担う力士は誰なのか? 春場所(3月8日~)に向けて関心が高まる。振り返れば過去の名横綱たちは、同時代のライバルと鎬を削り、突き上げる世代交代の波と戦いながら、最高位にのぼりつめた。ならば“最強の中の最強”は誰か。読者1000人と各界の好角家たちが選んだ。◆直線の柏戸、曲線の大鵬 1位は圧倒的な支持で大鵬。優勝32回(うち全勝8回)、6連覇2回と圧倒的な記録を残した。「巨人、大鵬、卵焼き」と呼ばれた子供の頃の人気者の記憶は、半世紀経っても強く残っているようだ。「少年雑誌の表紙は、ONか大鵬と決まっていた」(65歳自営業) 好角家として知られるコメディアンの大村崑氏(88)も深く頷く。「これまで大勢の力士を見てきましたが、やはり最強は大鵬です。立ち合いでは相手を真っ正面から受け止め、どんな展開になっても負けなかった」 大鵬の連勝記録は歴代4位の45だが、芥川賞作家の高橋三千綱氏(72)は「本当ならもっと連勝していた」と語る。 46連勝が懸かった1969年春場所の戸田との一番。押し込まれた大鵬は、土俵際で際どく突き落とし。軍配は大鵬に上がったが、物言いがつき、行司差し違えで戸田の勝ちに。「しかし、翌日のスポーツ新聞には、戸田の足が先に出ている写真が掲載された。“世紀の大誤審”で、翌場所から判定にあたりビデオが参考にされるようになりました」(前出・高橋氏) 名横綱には必ずライバルがいる。大鵬のライバルといえば柏戸(11位)。元NHKの大相撲実況アナウンサーで、現在は東京相撲記者クラブ会友の杉山邦博氏(89)が言う。「私はラジオ中継で“直線の柏戸、曲線の大鵬”と表現しましたが、土俵の丸みを生かすのが大鵬で、一直線に持っていくのが柏戸だった。全盛期の大鵬戦となると互角以上の勝負をしていました」「柏鵬時代」の後に訪れたのが、玉の海(12位)と北の富士(14位)の「北玉時代」。70年初場所で13勝同士で優勝決定戦に臨んだ2人(優勝は北の富士)は、場所後、揃って横綱に推挙された。「玉の海が横綱になった翌年に急逝した(享年27)ときはショックだった。生きていれば北の富士と長く名勝負を見せてくれたはず」(69歳会社役員) 2人の幕内対戦成績は北の富士の22勝21敗とほぼ互角だった。◆北の湖に勝ち越した輪島「北玉」の後に台頭してきたのが、「憎らしいほど強い」と称された北の湖(3位)だ。1974年7月名古屋場所後に21歳2か月の史上最年少で横綱に昇進し、優勝は24回。「滅多に負けないからこそ、負けた時は盛り上がる。先代の貴ノ花が結びの一番で北の湖を寄り切って初優勝した時は興奮した」(61歳会社員) その北の湖と渡りあったのが、元学生横綱の輪島(9位)。“黄金の左腕”から繰り出される下手投げは強烈で、北の湖に23勝21敗と勝ち越している。 2位になった千代の富士は1981年初場所、優勝決定戦でその北の湖を倒して初優勝。この一番が黄金時代を築くきっかけとなった。「小さな体で大きな北の湖の前まわしに食らいくつ姿は、まさにニックネームの“ウルフ(狼)”そのもの。強引に寄りに出た北の湖を上手出し投げで倒して初優勝した時の、国技館の大歓声はすごかった」(58歳会社員) 抜群のスピードとバネの強さを武器に、全盛期には5年間で優勝20回。53連勝も記録した。 同時代に千代の富士とともに綱を張ったのが、双羽黒(15位)と隆の里(20位)。隆の里は糖尿病と闘いながら、苦労の末に30歳で最高位にまで昇りつめ、苦労人の代名詞ともいえるNHK朝ドラ『おしん』にかけて“おしん横綱”と呼ばれた。 対照的だったのが“新人類”と呼ばれた双羽黒。1986年夏場所の優勝決定戦で千代の富士に敗れたが、優勝経験のないまま横綱に昇進。師匠と大喧嘩して仲裁に入った後援会長とおかみさんにケガを追わせて失踪し、廃業。「2m近い(199cm)の恵まれた体で、精進していたら千代の富士にも負けない大横綱になっていたに違いない」(55歳会社員)◆唯一ランクインした「大関」 千代の富士に引退を決意させたのが、貴乃花(4位)だった。 入幕4場所目の1991年夏場所で初対戦。千代の富士が強引に首を押さえ突き落とそうとしたが、足腰の強さで残した貴乃花(当時貴花田)が体を預ける形で寄り切って初金星を上げた。千代の富士に「体力の限界」と言わしめたのはあまりに有名だ。 貴乃花の前に立ちふさがったのが、ハワイ出身で身長203cm、体重235kgの巨漢力士・曙(13位)。この時代は貴乃花の兄で“若貴フィーバー”を巻き起こした若乃花(三代目、17位)、曙と同じハワイ出身の武蔵丸(19位)の4横綱が鎬を削った。「終盤戦で4横綱が星を潰し合い、大関には貴ノ浪、千代大海、出島がいて、三役常連にも魁皇(16位)、琴錦、武双山、栃東ら実力者がひしめいていた。その中で22回優勝した貴乃花は高く評価できます」(前出・高橋氏) 16位に選ばれた魁皇が横綱になれなかったことが、この時代のレベルの高さを物語る。さらに貴乃花は、世代交代の壁としても立ちはだかった。 飛ぶ鳥を落とす勢いの朝青龍(8位)が新大関となった2002年名古屋場所で横綱・貴乃花と対戦するも、上手投げで完敗。思わず朝青龍が「チクショー!」と叫んだ。貴乃花の引退後、白鵬(6位)、日馬富士、鶴竜らが台頭し、モンゴル時代に突入する。 現役で唯一ランクインした白鵬は優勝43回、幕内通算1053勝など数々の歴代記録を塗り替えている。6位に甘んじたことに料理人の神田川敏郎氏(80)は首を傾げる。「白鵬がナンバーワンであることは、数字が物語っている。なぜこの順位なのか、理解できません」◆大鵬が負けるはずがない さらに時代を遡れば、白鵬がいまだに塗り替えることができない唯一の記録である69連勝を戦前に築いた双葉山(5位)の存在がある。 終戦を挟み、「栃若時代」を築いて戦後の大相撲を支えた、“土俵の鬼”若乃花(初代)が7位、“マムシ”栃錦が10位にランクイン。落語家のヨネスケ氏(71)が懐かしむ。「栃錦のスピードある立ち合いから右上手を取っての出し投げは天下一品だった。一方、若乃花は力業で豪快に相手を投げ飛ばす。街頭テレビから、家庭でテレビが見られるようになった時代で、2人はヒーローだったね」 それぞれの時代を象徴する名横綱たちが、もし時空を超えて戦ったら誰が勝つのか──。NHKが昨年8月に放送した「どすこい!夢の大相撲 令和元年AI場所」は大反響を呼んだ。 日本IBMが開発した「どすこいAI」に現役時代のデータを入力。CGで対戦するという企画で、若乃花(初代)や玉の海ら往年の名横綱が甦り、“大将戦”では大鵬、貴乃花、白鵬の3人が巴戦で激突した。結果は白鵬が2勝、貴乃花が1勝1敗、大鵬は2敗。AIは白鵬が“史上最強”と判断した。 アンケートで白鵬を推した前出・神田川氏は、「白鵬は体がひと回り大きく、パワーに勝る。この結果は順当です」と納得の表情だが、多勢を占めたのは、「大鵬が白鵬に負けるはずがない」という声だ。 同番組に出演していた漫画家のやくみつる氏(60)が語る。「AI相撲では白鵬が左からの突き落としで逆転勝ちしましたが、腰の重い大鵬が土俵際で逆転を食らうはずがない。私が見てきたなかでは最強で、北の湖、千代の富士、貴乃花とやっても大鵬が勝ちますよ」 前出・高橋氏も言う。「大鵬は白鵬のようなカチ上げや張り手を使わず、受けて立つ相撲であれだけ強かった。実際に戦ったら、差し身の早い大鵬が左四つに組み止め、すくい投げか上手投げで決めると思う」 この“最強神話”を超える名横綱は、今後現われるのだろうか。※週刊ポスト2020年3月13日号
2020.03.04 07:00
週刊ポスト
現在は週3回、個人トレーナーについてトレーニングを行ったり、独身時代からの友人とよく一緒に旅をする。ともに夫を見送り、気楽な立場だ(撮影/森浩司)
橋田壽賀子、『渡る世間は鬼ばかり』続編1本を約束したが…
 元号が平成から令和になるなど、大きな変化の1年だった2019年。では、東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年は、一体どんな1年になるのだろうか──。そこで、ドラマ界の重鎮である脚本家の橋田壽賀子さんに、2020年を予測してもらった。 * * * かつてテレビのドラマといえばホームドラマが主流で、お茶の間に多くの話題を提供してきました。 でも昨今はほとんどないし、2020年には皆無になるんでしょうね。したがって、私の出番がなくなるのは確か。『ドクターX』のような医療ドラマが増えるでしょうか。 私自身は、『渡る世間は鬼ばかり』の続編1本を約束していますが、さて、90才を過ぎると明日は何が起こるかわからない。書ける確約はできません。また、「年老いての孤独」を書きたい構想はありますが、こちらも確約はできません。【プロフィール】橋田壽賀子/1925(大正14)年、京城(現在のソウル)生まれ。TBS東芝日曜劇場や同『渡る世間は鬼ばかり』、NHK連続テレビ小説『おしん』、同大河ドラマ『いのち』など、問題作・話題作を執筆し続けてきた。最新著書に『人生ムダなことはひとつもなかった 私の履歴書』(大和書房)。※女性セブン2020年1月16・23日号
2020.01.06 07:00
女性セブン

トピックス

紺色のお召し物だった紀子さま
紀子さま、悠仁さまに「悪夢の再来」 宮内庁17cm包丁送付事件、同封便箋には皇族批判
女性セブン
京都の街を歩く舞妓のイメージ(写真/イメージマート)
元舞妓の告発に有名歌舞伎役者たちが大慌て 関係が露見すれば廃業は必至か
女性セブン
逮捕された「RYO&YUU」
「バレないように森の中で」公然わいせつ逮捕「RYO&YUU」が語っていた野外動画撮影の“対策” 実際には公園、海岸でも裸に
NEWSポストセブン
よくぞ言った!江口のりこがぶっちゃけたテレビのタブー「番宣出演は意味がない」
よくぞ言った!江口のりこがぶっちゃけたテレビのタブー「番宣出演は意味がない」
NEWSポストセブン
ゴルフをする女性芸能人が増えている(左は小島、右は鷲見。ともに本人のインスタより)
タイトなウェア姿を投稿しまくりの小島瑠璃子と鷲見玲奈「ゴルフ女子」枠巡る熾烈な戦い
NEWSポストセブン
ポスト和久田麻由子アナに浮上 「元東大ミスコン」堀菜保子アナ(27)の“大きな武器”
ポスト和久田麻由子アナに浮上 「元東大ミスコン」堀菜保子アナ(27)の“大きな武器”
NEWSポストセブン
TBS・安住紳一郎アナウンサーの魅力の源は?(時事通信フォト)
「定年までTBSに」先輩・吉川美代子アナが期待する安住紳一郎アナのこれから
週刊ポスト
結婚を発表し、お相手を「建築会社」とした滝沢。「一般男性」とは言っていない
滝沢カレン結婚!「テラハ」出演“肉食系”ハーフモデルのどこに惹かれたのか
NEWSポストセブン
眞子さまの箱根旅行のお姿。耳には目立つイヤリングも(2018年)
小室圭さんの妻・眞子さん 華やかだった4年前の「箱根・女子旅ファッション」
NEWSポストセブン
逮捕された「RYO&YUU」
公然わいせつ逮捕「RYO&YUU」、性的動画アップは「親公認」だった 22歳の女は愛知・香嵐渓で全裸に
NEWSポストセブン
結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
NEWSポストセブン
高橋真麻
高橋真麻「おでんの卵8個食べても太らない」女性が憧れる美スタイルの理由
NEWSポストセブン