もっとも共食ニーズを拾う民間事業者のサービスも始まっている。例えばKitchHike(キッチハイク)というインターネットサービスがある。「食べるのが好き」な人と「料理を作りたい」人、それぞれをつなぐサービスで、最近人気となっているのが、「みんなの食卓」という地域のごはん会だ。多種多様な家庭料理を食べる会が、毎日のように都内各所で開催されている。人口の集中する東京なら、小規模でも多彩な食のコミュニティを継続的に構築できる。
食育白書には「食事を共にする頻度が高い人は、食生活が良好な傾向」と題されたコラムが掲載されている。「誰かと食事を共にする頻度が高い人は」、「野菜や果物など健康的な食品の摂取頻度が高」く、「ファストフードの利用が少ない」傾向が見られたというが、「啓蒙」や「教育」だけでは人は動かない。
本来「食」は人生を豊かにする楽しいものだ。仮に「孤食」しか選べなくとも、その一食は何がしかの慰めにはなる。自ら「孤食」を選び取って、実践する人がどれだけいるだろう。「孤食」化が進んでいるとするならば、「食」以前の課題にも目を向ける必要がある。
かつて町の食堂や酒場は網の目からこぼれ落ちそうな「孤食の人」と地域コミュニティとの間をつなぐセーフティネットのような役割も果たしてきた。SNSの発達や進化で「地域」に加えて、趣味や嗜好、マインドなどもコミュニティの構成の要件となっている。食の周辺でもコミュニティのあり方は多様化している。それでも「共食」か「孤食」か。せめてそれくらいは自分で決められる社会であってほしい。