スケベ人間を活用した例もある。
オランダのハーグの近郊にスケベニンゲンという海辺の町がある。カデンヌの小説『スケベニンゲンの浜辺』やゴッホの『スケベニンゲンの海の眺め』で知られる観光地だ。scheveningenという地名はスヘフェニンゲンとするのが正しいらしいが、日本人にはこの発音が難しく、スケベニンゲンで通っている。この名のレストランもある。ところが、この地名は隣国のドイツ人にも発音が難しく、彼らはシュフェニンゲンと言う。
第二次大戦では、オランダはロッテルダムがナチスドイツの爆撃を受けている。海に面したスケベニンゲンにも、ナチスの工作員が潜入していた。様子の怪しい男を見つけると、オランダ市民は問いつめる。「スケベニンゲンって言ってみろ」。「えーと、シュ、シュフェニンゲン…」。「ナチス野郎だ!」。工作員は市民の袋叩きにあった。オランダではナチスドイツ識別法となったという。
日本ではこれが逆の悲劇になった。一九二三年の関東大震災に際し朝鮮人が暴動を起こしたというデマが流れ、多くの朝鮮人が虐殺された。その時は朝鮮人に不得手な発音が悪用された。人間は何事も良い方にも悪い方にも利用する。好色だけのことではないのだ。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。
※週刊ポスト2018年6月15日号