直稔:おれは1964年の東京オリンピック。開会式から閉会式まで全部見たけれど応援はせず、一観客として行っただけ。当時は今以上に開催前から街中がオリンピック一色。キャバレーですら「東京五輪キャンペーン」をやっていて、楽しかったなぁ(笑い)。
外美代:女の子とオリンピックの話で盛り上がったんですか(笑い)? 私はそのときまだ中学生だったんですが、先生から「オリンピックは学校を休んででも見ろ」と言われて、テレビに釘付けになって見てました。当時は外国の人については、本で読むくらいしか情報がなかった。先生は、この機会にリアルな外国の人を自分の目で見なさい、という気持ちだったのでしょう。中でも、裸足のランナー・アベベは衝撃的でした。
直稔:確かにあの走りはすごかったな。それであなた、初めて行った万博は?
外美代:1970年の大阪万博に、当時の会社の同僚とバスツアーで行ったのが最初です。団長は「太陽の塔」ってご存じですか?
直稔:岡本太郎の作品ね。
外美代:印象的だったのが、その「太陽の塔」。塔の内部に入り、生命の進化を描いた「生命の樹」という作品を見ながら出口まで進んでいくのですが、見終わって外に出た時、自分たちの未来に、輝くような希望を感じたことをよく覚えています。
東京オリンピックでは、「東洋の魔女」と呼ばれた日本女子バレーチームがソ連(当時)のチームとの接戦を制して優勝を勝ち取り、日本中を沸きに沸かせた。その後の大阪万博では三波春夫の歌うテーマソング『世界の国からこんにちは』が大ヒット。300万枚を超える売り上げを記録。多くの国民と同じく、2人にとってこの原体験は強烈だったが、2人が「オリンピックおじさん」「万博おばさん」として活動を始めるのはもう少し先だった。
直稔:応援にのめり込むきっかけになったのは、1968年のメキシコ。
外美代:なんでまた、メキシコに?
直稔:社長として会社を大きくしてゆく時期で、親友から「日本に納まってちゃいかん。どんどん世界へ行かなくちゃ」って旅行に誘われた先がメキシコだったの。で、どうせ行くならオリンピックを見ながら日本をアピールしようと日の丸の旗と羽織袴を持参して、現地で買ったメキシカンハットを被ったら、もう目立っちゃって(笑い)。