「舞台だから美人じゃなくたっていいかなという感じはありましたね。役者になろうなんていうんだから、男も女もみんなシャレ者だったけど、私だけは学校の制服で試験を受けていたからね。先生もいい加減だったんじゃないの。
研究所は学校の繋がりみたいな感じ。今みたいに選択肢がなかったから。でも、錚々たる講師が来たのね。芥川比呂志さんに、若い頃の大江健三郎さん、三島由紀夫さんも定期的に講師になってくれたり。
学んだことというと、今も役に立っているのは柔軟体操ね。体操の時間では振りを覚えるんじゃなくて、力の抜き方を教えてくれたの。マリオネットじゃないけど、操り人形のように一本スーッと糸で引かれたような感じで、自分の体の一部分だけを動かす。これを一年やりました。
一遍に力を抜くんじゃなくて、順番に力を抜いていく。たとえば、手の先っぽだけ抜く。今度は腕から先だけ抜く。肘から先だけ抜く、肩から抜く──みたいな。そうやって自分の身体の感覚を部分的に意識しながら、感じながら動かすというあの柔軟運動はその後にうんと役立ちました。『お化けのロック』という歌を郷ひろみさんと歌った時の、あのお化けの振りつけは柔軟体操から来ているの」
一年後、文学座に入団する。
「勉強して一年そこらで役者だなんて意識は持たなかったですね。
当時は一ステージ二百円で、税金取られて百八十円。十ステージやっても千八百円。たくさんセリフ言っても通行人でも同じ値段だから、役につかない方が楽でいいな、と。役者やろうっていう気はまるでありませんでした。切符売るのも嫌だったし」
●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。
■撮影/五十嵐美弥
※週刊ポスト2018年6月29日号