樹木希林一覧

【樹木希林】に関するニュースを集めたページです。

6月はジューンブライド 昭和、平成、令和のビッグカップルの結婚式
6月はジューンブライド 昭和、平成、令和のビッグカップルの結婚式
 6月に入り、ジューンブライドを逃すまいと結婚式を挙げるかたも多いのではないでしょうか。過去を振り返ってみると芸能界でも豪華絢爛で盛大な結婚式が開かれてきました。『女性セブン』が過去におさめてきた歴史に残る結婚式の数々を懐かしみながら、幸せを分けてもらいましょう。●神田正輝(71) 松田聖子(60)1985年 郷ひろみと婚約寸前で破局となった彼女が選んだのは11才年上の共演俳優。郷との破局から5か月での結婚は、“聖輝の結婚”と騒がれた。●三浦友和(70) 山口百恵(63)1980年「この人の妻と呼ばれることに喜びと誇りを感じます」と潔く引退を決意した百恵さん。“ゴールデンコンビ”と呼ばれたふたりの結婚を日本中が祝福。●故・内田裕也さん(享年79) 故・樹木希林さん(享年75)1973年 当時、悠木千帆の名前で活動していた彼女は、結婚後に改名して「樹木希林」という名前に。ペアルックで臨んだ仏前挙式では手には数珠を提げて臨んだ。●故・朝丘雪路さん(享年82) 故・津川雅彦さん(享年78)1973年 不倫の恋と呼ばれたふたりは、何度も結婚の噂が出るたびに、否定をしてきたが結婚。晩年は、朝丘が2018年に亡くなると、その4か月後に津川も後を追うようにこの世を去った。●吉永小百合(77) 岡田太郎さん 1973年 人気絶頂の吉永が15才年上のフジテレビディレクター(当時)と入籍したことでサユリストの間では騒動に。この結婚に関して彼女の両親は頑なに結婚を認めなかった。●桑田佳祐(66) 原由子(65)1982年 大学時代からの音楽仲間とプロになりそのまま結婚。ファン2000人を招待するという異例の式となり、会場は関係者を含めて2300人でごったがえした。●布袋寅泰(60) 今井美樹(59)1999年 ハワイで挙式後、東京・青山のウエディング会場で披露宴。「これからもよろしく!と笑顔で申し上げる次第でございます」とコメント。●五木ひろし(74) 和由布子(63)1989年 昭和天皇のご病気で延期したが、7か月後無事に挙式。着物モデルの仕事で知り合い、7年後の再会で恋に落ちた。●小室哲哉(63) KEIKO(49)2002年 招待客は700人、ウエディングケーキは2m、総額5億円のド派手式は小室にとっては再々婚。テレビ中継され、視聴率は15.5%を記録した。●郷ひろみ(66) 大根田名美さん 2000年「23時間55分は郷ひろみだけど、5分間は原武裕美」、「原武裕美は結婚しても、郷ひろみは結婚しない」との名言を残し、ニューヨークのアルマーニブティックの店員だった彼女と結婚。●小栗旬(39) 山田優(37)2012年 ドラマの共演をきっかけに急接近したふたり、結婚報告会見で山田が、何卒を“なにそつ”と読み間違えたことが話題となった。そして、今年結婚10周年を迎えた。●リン・チーリン(47) EXILE AKIRA(40)2019年 台湾の国民的女優との結婚は、現地では“格差婚”として報道された。彼女は、今年1月31日47才で第1子を出産し、ママの顔も持つこととなった。●DAIGO(44) 北川景子(35)2016年 北川が“1”が好きという理由で1月11日11時11分に入籍。結婚発表会見ではプロポーズの言葉について「“KSK”。(K=)結婚(S=)して(K=)ください」とDAI語だったことが明かされた。●杏(36) 東出昌大(34)2015年 NHKの連続テレビ小説『ごちそうさん』での共演をきっかけに結婚したが、東出の“匂わせ不倫”が発覚し離婚。代償の大きすぎる不倫として話題となった。●ソン・イェジン(40) ヒョンビン(39)2022年 大ヒットドラマ『愛の不時着』で恋人役を演じた後は、何度も交際報道を否定してきたふたりだが、2月に電撃結婚。世界中から祝福の声が寄せられた。●藤原紀香(50) 片岡愛之助(50)2016年 世界遺産の京都・上賀茂神社で挙式。出会いのきっかけは、藤原が主演していたミュージカルを片岡が見に行ったことから交際に発展した。写真/女性セブン写真部※女性セブン2022年6月16日号
2022.06.04 16:00
女性セブン
『鎌倉殿の13人』では源頼朝の妻・北条政子を演じる(NHK提供写真/毎週日曜20時~NHK総合)
女優・小池栄子の存在感 中井貴一ら共演者たちが明かすその魅力と努力
 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で源頼朝の妻・北条政子を演じる小池栄子(41)。共演者から「場の空気を全部持って行っちゃう」と言われるほどの存在感を放つ女優はいかにして生まれたのか。共演者、監督らの証言から誕生秘話を解き明かす。【前後編の後編、前編を読む】どんな役でも品がある「表現力をつけさせたい」と考えた芸能事務所イエローキャブ元社長の野田義治氏(75)は、小池を舞台に売り込んだ。そして2002年、小池はラサール石井作・演出の舞台『ライアー・ガール』で初主演を果たす。ラサール(66)が語る。「彼女がまだ深夜ドラマに1、2本しか出ていなかった時期でした。印象的だったのはグラビアで体得した身のこなしと力強い瞳でした」『ライアー・ガール』は、人生に疲れた冴えない中年男性が若返りの薬を飲み、なぜかナイスバディのギャルに変身してしまうというコメディだ。「中年のサラリーマンが突然、若い女性に変わってしまう。驚いて自分のおっぱいをガーッと触って『なんじゃこりゃ!』と言うんだけど、彼女はそこで大きな笑いを取っていた。初舞台なのに大したものですよ。何をやっても品があるから、下ネタでもイヤらしくならない。これはコメディエンヌとしてはとても重要な要素なんです」(ラサール) 感心したのは、演技力だけではなかった。「とにかく肝っ玉が据わっていて、度胸があった。お金を儲けたいとか有名になりたいとかではなく、演技が上手くなりたいという純粋な思いを感じました。主役・脇役にこだわらず、どんな役もしっかりとやってきたからこそ、今の彼女があるんじゃないかな」(ラサール)お芝居の先に夢がある 2006年に『カンブリア宮殿』(テレビ東京系)のMCに抜擢され、他のバラエティ番組でも活躍するかたわら、小池は女優としても徐々に頭角を現わしていく。 過去に共演した草刈正雄(69)も「ダイナミックで存在感がある」と評する。 そんな小池が本格女優へと飛躍するきっかけになったのが、2009年に出演したドラマ『スマイル』(TBS系)だった。 共演者の中井貴一(60)に「小池さんは今後もお芝居をやっていくんですか?」と聞かれ、小池はこんな悩みを打ち明けたという。「私はお芝居が好きだけど、今はグラビアとかバラエティの仕事もしている。でももうグラビアの年齢でもなくなってきているし、かといってバラエティでもベースがない……」 自分の本当の居場所が見つからないという小池。だが、そんな彼女の中に、中井は女優としての“空気感”を感じていた。「お芝居を生業としてやっているのか、好きでやっているのかの違いは大きい。言ってみればお芝居の先にお金があるのか、それとも夢があるのかの差です。小池さんはお芝居が好きで、その先に夢を持っている方なのだなーと感じました」(中井) そのうえで中井は、小池にこんなアドバイスを送った。「人間、全てを得ることはなかなか難しい。もし女優・小池栄子としてやっていくのなら、バラエティの仕事が1本も来なくなる覚悟を持ってやったほうがいい」──と。 それから2010年。中井は映画『記憶にございません!』で再び小池と共演した。「小池栄子という立派な女優さんがそこに存在していました。“ああ、成長したな”とか、そういう感覚ではなかったです。初共演の時から女優としての“核”みたいなものを感じていて、当然、そうなるだろうと思っていましたから」(中井) 小池との芝居は“楽”なのだと中井は話す。「お芝居は一人でやるものではないので、常に心が揺れながら、そよぎながら相手の言うことに反射的に返さないといけない。これはある意味バラエティに通じる部分で、小池さんにはそこで培った経験がある。リハーサルとニュアンスが変わっても、それを瞬時に受けてくれるんです」樹木希林のように… 小池が日本アカデミー賞優秀助演女優賞に輝いた映画『八日目の蝉』の監督を務めた成島出氏(60)は、彼女の「練習量に驚いた」と語る。「我々の世界では『一声、二顔、三姿』の三拍子が揃ってこそいい役者だと言いますが、小池栄子は声が素晴らしい。それは本来、グラビア出身の人には珍しい声なんです。彼女はトップレベルの舞台に出る機会を自ら作り、陰の努力で手に入れてきたのでしょう。トレーニングの賜物です」 撮影現場での小池とのやりとりにも舌を巻いた。「役柄の理解度が深く、質問が的確なんです。『私はこう感じたけど、これでいいですか?』と、こちらがイエス・ノーで答えられるような具体的な質問をしてくる。時々大胆なことも聞いてくるんですが、演出家としてはそれも嬉しい。そこまで考えてくれているんだと。『カンブリア宮殿』のMCが務まるのも、勉強量と読書量が半端じゃないからでしょう。『八日目の蝉』の46日間の撮影期間中だけでも10冊くらいは本を読んでいたんじゃないかな。他の女優さんはセリフの最終確認をしているんですけど、彼女は小説だけじゃなくていろんな分野の本をとにかくずっと読んでいた。でもセリフは完璧に入っている。その姿がすごくかっこよかった。僕が出会った女優のなかで一番の勉強家で、読書家です」(成島氏)『鎌倉殿の13人』では、後に“尼将軍”として権勢を振るう北条政子という大役を務めている小池。成島氏はその演技についてこう語る。「三谷幸喜さんの音符の上にちゃんと乗って演じているなあと思います。この先は、命尽きるまで女優で居続けてほしいし、僕もいろんな年代の彼女を撮り続けたいと思う。50代・60代になっても主演を張った樹木希林さんのような女優です。彼女の後継者になってほしいですね」 動乱の時代を強く生き抜いた北条政子を、今後小池栄子はどう演じてみせるのか。(了。前編から読む)※週刊ポスト2022年3月18・25日号
2022.03.12 07:00
週刊ポスト
『もういちど、あなたと食べたい』著・筒井ともみ
【書評】松田優作、向田邦子、樹木希林…亡き人の思い出を食と共に語る
【書評】『もういちど、あなたと食べたい』/筒井ともみ・著/新潮社/2200円【書評】川本三郎(評論家) 巷にあふれる食のエッセイのなかでも本書は希有の面白い魅力を持っている。いまは亡き人の思い出を食と共に語る。あの大事な先輩たちと何を食べたか。おいしい食事と共にいまも忘れられない故人を偲ぶ。食と死が優しく溶け合い、食の書であると同時に、思いのこもったみごとな追悼記になっている。 映画「それから」「失楽園」「阿修羅のごとく」、テレビドラマ「小石川の家」「センセイの鞄」などで知られる脚本家が、これまで一緒に仕事をしてきた、また人生で教えられることの多かった先輩や同世代の友人たちを食と共に思い出してゆく。 食と死が合わさっている。こういう食の本は珍しい。食(生きる)とは死とつながるかけがえのない儀式なのだと思い知らされる。加藤治子と食べた蕎麦がき(おかちん)、松田優作と共にしたにぎり寿司、深作欣二が好きだったキムチ鍋、北林谷栄に振舞われた宅配のピザ、和田勉と松本清張と緊張しながら食したもずく雑炊。 次々においしそうな食と、それで思い出される先輩たちのことが語られてゆく。食のエッセイであると同時にみごとな人物スケッチになっている。打合わせで、松田優作は端的にいう。「仕事の話だ。モノは漱石の『それから』。森田(芳光)が撮って、俺が出る」。うーん、みごと。無駄がない。その松田優作が寿司をつまむ指が美しい。 一方、「それから」を監督する森田芳光は会った瞬間にいう。「明治は新しい」。これもうなる。著者の名付親だった名撮影監督宮島義勇(「人間の條件」)、心の師と慕った脚本家、野上龍雄、いい先人たちに恵まれている。さらに同時代を生きた向田邦子、樹木希林、あるいは佐野洋子。 すぐれた人との交流に羨しくなる。まさに才能は才能が知る。伯父は名優の信欣三。伯母は名女優といわれながら心を病んでしまった赤木蘭子。両親は著者が子供の頃に離婚した。家族のことを語る終章が泣かせる。※週刊ポスト2022年2月18・25日号
2022.02.10 16:00
週刊ポスト
オーバー40女性の憧れ・YOUのお婆ちゃん役に「本気」を感じる
オーバー40女性の憧れ・YOUのお婆ちゃん役に「本気」を感じる
 NHK朝ドラ『カムカムエヴリバディ』に、テレ東深夜『じゃない方の彼女』。平成に青春期を過ごしたドラマオタクのエッセイスト・小林久乃氏は、話題のドラマ2作品で“祖母役”を演じるタレントで女優のYOUの演技に驚いたという。小林氏が綴る。 * * *「あのYOUが本気を出したのか……?」とドラマ録画を見ながら息を呑む。YOUとは、ハスキーボイスで知られるタレントのYOUさんである。『セブンルール』(関西テレビ・フジテレビ系)では軽妙なトークで司会を、『ねほりんぱほりん』(NHK Eテレ)ではインタビュアー「ぱほりん」の声優を務めている。 平成に青春期を過ごした女性たちは、皆一様に彼女の自由奔放そうに見える生き方に憧れた。美容院が面倒だとロングヘアのヘアカットは自分でする、冬でもノースリーブ、年下夫との再婚と離婚。周囲に隠すことのない恋愛。女性ファッション誌『InRed』『GLOW』(いずれも宝島社)は彼女のために作られたような大人の雑誌だったように思う。歌手、女優、モデル。どのカテゴライズにもぴったりとハマらないような存在は、平成期に異例であった。 そんなYOUさんが今クールのドラマでは、なんとお婆ちゃん役で2作品に出演している。57歳という年齢を考慮すれば、たしかに自然な配役だろう。「私たちが好きだったYOUがおばあちゃん……?」と思うと腑に落ちない部分もあるのだが、しかし、作品を見れば誰もが膝を打つことは間違いない。そこには専業のベテラン俳優たちに引けを取らない、唯一無二の存在感があるのだ。息子を溺愛する姑がハマる『カムカムエヴリバディ』 登場からSNSがざわついたのは、朝ドラ『カムカムエヴリバディ』(NHK総合)の雉真美都里役。視聴者の多くを占めるのはおそらく主婦の皆様。私と同じく、平成に青春期を過ごした同士である。家事育児に追われているうちに、YOUさんの実年齢を忘れていたかもしれない。時代のミューズのお婆ちゃん役を目の当たりにするのは衝撃だったはず。『カムカムエヴリバディ』は三世代のヒロインが控えており、現在は大正~昭和の第1期を放送中。岡山市内の商店街の和菓子屋「たちばな」の長女として育った安子(上白石萌音)は、繊維業を営む名家の跡取り息子・雉真稔(松村北斗)と、身分違いの恋を実らせて結婚。折しも太平洋戦争が勃発していたため、ほんの1か月の結婚生活を経て、稔は出征することになるのだが、この嫁ぎ先である雉真家の姑こそ、YOUさん演じる美都里だ。 資産家の奥様らしく、いつも仕立てのいい着物を身に纏い、息子の稔と勇(村上虹郎)を溺愛していた。良家のお嬢様育ちで奥様となれば、仕事もしていなかったはず。息子たちに自分の全ての愛情を注いでいたはずだ。 印象的だったのは、結婚前に安子の存在を許すことができず、息子に内緒で呼び出して、和菓子の代金代わりに手切れ金を渡すシーン。無表情で白い肌を光らせながら静かに玄関から出てくる様子には、怨念に近いものを感じた。ただ出てきただけなのに……。「この人、本当に朝ドラ初出演なのだろうか?」と見紛う。 結婚への小さな反抗劇を見せた後は、初孫・るいを可愛がるばあばへと変貌した。個人的に安子をいびる姑姿をもうちょっと見たかったけれど、いつまでも乙女であり続ける美都里を最後まで演じ切ってほしい。そう、戦火から逃れて、ドラマの中で元気に長生きをしてほしいのだ。故・樹木希林さんの姿がよぎる『じゃない方の彼女』 良家の奥様役とは一転、『じゃない方の彼女』(テレビ東京系)ではファンキーなばあちゃん姿を見せている。 妻帯者である大学准教授の小谷雅也(濱田岳)は生徒の野々山怜子(山下美月)と恋に落ち……そうになっている。つまりは不倫。愛する家族を裏切ってしまう背徳感と日々戦っている。根が非常に真面目なのだ。 そんな雅也の母・小谷弘子をYOUさんは演じている。小学2年生の孫を可愛がる一方、恋愛小説家という職業柄、孫には聞かせられない話を息子の家で毎回披露。いつも突然現れて、雅也の心をかき乱していく。 前述の美都里と比べると、だいぶコミカルな役である。息子の家に登場する時も暗闇の窓から現れたり、話している最中にネタが浮かんで急遽、帰宅をしたり。彼女のパブリックイメージにだいぶ近い、軽快さだ。その様子が自由すぎて他の女優さんが演じる様子を全く想像できないほど。 でも一人だけ挙げるのなら、ふと樹木希林さんの姿がよぎった。勝手なことばかり並べているように見せながら、実は一本筋の通った生き方で世間を魅了していた樹木さん。私が個人的にお見かけしたYOU さんといえば、10年以上前にクラブで楽しそうに飲んでいる姿である。ただ、どんなに酔って帰っても息子さんの弁当だけは作っているという記事を読んで、力強さを感じた。そんな二人の後ろ姿には通ずるものが……見えた。私には確かに見えた。 YOUさんが祖母役をドラマで演じるのは、私の記憶の限りでは過去に『極主夫道』(日本テレビ系・2020年)がある。ただ全編にわたる出演ではなかったし、目立っている雰囲気がしなかった。でも今回、紹介をした2作品は、彼女の様相さえも違う気がする。何かを思い立って踏み出したような雰囲気。それが演技を通して感じられるYOU さんの“本気”なのだろう。また私たちは何かを期待してその姿を追いかけてしまうのだ。【プロフィール】こばやし・ひさの/静岡県浜松市出身のエッセイスト、ライター、編集者、クリエイティブディレクター。これまでに企画、編集、執筆を手がけた単行本は100冊以上。女性の意識改革をライトに提案したエッセイ『結婚してもしなくてもうるわしきかな人生』(KKベストセラーズ刊)が好評発売中。
2021.11.24 11:00
NEWSポストセブン
浅田さんと樹木さんが旅行したバリ島での一枚
「美代ちゃんはここにいて」浅田美代子に向けた樹木希林さん最後の言葉
 樹木希林さん(享年75)が亡くなって以降、彼女に関する書籍が各社から刊行され、大きな話題を呼んできた。しかし編集者からの執筆オファーを断わり続けてきた人物がいる。誰よりも多く樹木さんとの時間を過ごしてきた浅田美代子(65才)だ。あれから3年、「まだ完全に受け止めることはできない」としつつも、樹木さんとの時を振り返ると決めた浅田がついに筆をとった──。 9月15日、樹木さんが亡くなって3年目の命日に、浅田が書籍『ひとりじめ』(文藝春秋刊)を上梓する。綴られているのはこれまでの浅田の半生と、樹木さんとの思い出の日々だ。 * 世代を超えて関係を紡いでいた2人だが、7年間という疎遠になっていた時期がある。それは浅田が結婚していた期間だった。《たぶん、芸能界の風のようなものを私に匂わせたくなかったのだろう。結婚するときも私の背中を押して、たくさんの力をくれたけれど、希林さんは直感がずば抜けて鋭いところがあるから、いつか私の結婚が綻んでしまう可能性があることも、当時から予感していたのかもしれない。それでも、私が選んだ道を応援してくれる人なのだ》(『ひとりじめ』より。以下同) 浅田が選んだ道とは、21才での吉田拓郎(75才)との結婚だった。ラジオでの共演がきっかけで、19才の誕生日から交際が始まり、それが報道されるとすぐに樹木さんと内田裕也さん(享年79)から、吉田に会いたいという電話があった。そして実際に、夫婦で吉田が通っていたバーに乗り込んで、真剣に交際しているのかと直接切り込んだ。結果、吉田から真摯な答えを得た樹木さん夫婦は浅田の恋を応援するに至ったというわけだ。 当時、プロポーズを受けるか浅田は悩んでいた。吉田が芸能界からの引退を条件にしていたことに加え、浅田の両親が、箱入り娘が若くしてミュージシャンに嫁ぐことを猛反対していたからだ。 救いの手を差し伸べたのは樹木さんだった。浅田の実家を訪れると、彼女の母親をこう説得したのだ。《「お母さん、心配なのはわかります。でも、結婚は本人の自由ですよね」》 あまりにストレートな物言いが功を奏したのか結婚は許された。 だが、浅田は7年後に離婚する。《結婚してみてよかったとも思う。希林さんが結婚前から諭してくれたように、結婚して普通の主婦をしていた経験は、役者としてはもちろん、人間としての私を豊かにしてくれた》 疎遠になっていた間も樹木さんは、浅田のことを気にかけていた。 離婚後も浅田はしばらく吉田姓を名乗っていたのだが、樹木さんに反対された思い出をこう述べている。《浅田美代子よりも吉田美代子の方が、銀行や病院で呼ばれても気づかれないというメリットも感じられた。それから、吉田さんのお母さんには結婚している間、本当に可愛がっていただいて、離婚後も「これからも娘でいてね。吉田の姓でいてね」と言っていただいた》 しかし、離婚から数年が過ぎると、樹木さんは浅田姓に戻すようにと、強く迫った。《「吉田の姓を名乗るのはおかしいよ。あちらは再婚したんだしさ(中略)美代ちゃんは、吉田美代子で死ぬの?」》 この言葉がきっかけとなり、公私ともに浅田美代子を名乗るようになった。「美代ちゃんはここにいて」 2001年に最愛の母を亡くし、一時期、心が抜け殻になるほど何も手につかなかった浅田に助言を送ったのも樹木さんだった。《「今はいいかもしれないけど、60歳過ぎてからは、容易に家も借りられないよ」》 結婚も離婚も、人生の選択に水を差すことなく、応援し続けてくれた樹木さんが、唯一、“そうすべきだ”と家を買うことに強い意思を示した。 それはアドバイスにとどまらなかった。不動産に詳しいという樹木さんが「ここはすごくいいの」と、高く評価し、すすめた物件が、いまの浅田の自宅だ。 購入までは踏み切れずにいた浅田に樹木さんはぴしゃりと一言告げる。《「お母さんの思い出にいつまでも引きずられていないで、住処を決めて引っ越しなさい」》 引っ越してからも、浅田が新しくCMに出演しているのを見れば「あのCMのギャラはいつ入るの? そのお金は繰上げ返済に回しなさいよ」とアドバイスを忘れなかった。 熱心な後押しがあって、浅田は10年もしないうちに住宅ローンを完済。返済の最終日、樹木さんは銀行にまでついてきた。浅田がカウンターで残金を払い終えると、笑いながらカメラのシャッターを押す。浅田が半生を振り返るとき、必ず節目には樹木さんの姿があった。 2018年の春から樹木さんの体調は一気に崩れていった。長年一緒にいたからこそ、彼女の異変を感じ取った浅田は、樹木さんの入院生活が始まると、極力一緒にいられるように病室に日参した。 もう言葉も発することが難しくなっていたある日、いまでも鮮明に思い出す“最後の言葉”を告げられた。 病室を訪れていた浅田に、医師が部屋から出るように告げた。必要な処置を施すためだが、樹木さんは、筆談で引き留めた。《「美代ちゃんはここにいて」》 そしてこう書き示した。《「この子も役者のはしくれだから、全部、見せるの」》 浅田はその思いを受け止めた。《正直なところ、それまで私は希林さんの痛々しい姿や辛さを見るのは嫌だと思っていた。けれど、希林さんは身を以て、体が朽ちていく様子を、“死というもの”へ向かうまでの道のりを私に教えてくれようとしていた》 人生の最後に自身の死生観を伝えたかったのだろう。 その後、樹木さんは退院した。回復したからではない。住み慣れた自宅で最期の時間を過ごすためだった。 退院の日、浅田も樹木さんの自宅を訪ねた。帰宅して翌朝。娘の内田也哉子(45才)から電話があり、樹木さんが旅立ったことを告げられた。 *「美代ちゃん、映画を観に行こうよ」──こんなふうにいまにも樹木さんから電話がかかってきそうだと浅田は言う。「これほど長く色濃くご縁が続いたのは、互いに“嘘のない関係”だったから。希林さんは私の前では常に本心を見せてくれていました。 いま、希林さんに伝えたいのは感謝の言葉ですと言いたいけれど……でも、本当は会いたい。子供じみた願いかもしれないですが、また会って、話がしたいです」※女性セブン2021年9月23日号
2021.09.13 07:00
女性セブン
浅田さんと樹木さんが旅行したバリ島での一枚
浅田美代子が綴った樹木希林さん秘話「役者の整形手術」に反対した理由
「さくらんぼはまだ? 今年は、2箱ほしい」──。浅田美代子(65才)のもとに樹木希林さん(享年75)からこんな“催促”があったのは、2018年春のこと。この何気ない連絡に、浅田は違和感を覚えた。後でわかるのだが、ちょうどその頃、樹木さんは余命宣告を受け、果物ぐらいしか喉を通らないほど、食欲がなくなっていたという。 樹木さんは2004年に乳がんが発覚し、2013年に全身のがん転移を公表してからも仕事は変わらずにこなすなど、普段どおりの日常を送っていた。しかし、2018年8月に大腿骨を骨折。そのまま入院が続き、翌月、家族に見守られながらこの世を去った。 最後の1か月はほとんど入院生活。その間、浅田は樹木さんを毎日のように見舞った。 冒頭のように、何気ない変化に気づくほど、2人は特別な関係だった。樹木さんと浅田は、長い長いつきあいの“親友”だ。出会ったのは、浅田が高校2年生のときに受けたドラマ『時間ですよ』(TBS系)のオーディション。以来47年、樹木さんは浅田に対して時には母として、時には姉として接してきた。 この9月15日──樹木さんが亡くなって3年目の命日に、浅田が書籍『ひとりじめ』(文藝春秋刊)を上梓する。綴られているのはこれまでの浅田の半生と、樹木さんとの思い出の日々だ。 樹木さんが亡くなってからというもの、浅田のもとには樹木さんへの思いを綴ってほしいという依頼が、数多くあった。しかしそれらのすべてを彼女は断っていた。 なかなか樹木さんの死に向き合えず、自分の気持ちに整理がつかなかったからだ。 それから3年という月日を経て、ようやく樹木さんとの日々を振り返る決心ができたという。 浅田は本を書くきっかけになったという樹木さんのある言葉をこう話す。「『美代ちゃんが私の人生の語り部になってね』。これは生前の希林さんから言われていた言葉なんです。 まだまだ希林さんがいない現実に慣れることはできませんが、『ひとりじめ』してきた時間を少しでもたくさんの人に伝えたいと思い、なんとか書き残すことにしました」 そこには浅田しか知らない等身大の樹木さんの姿が綴られていた。なぜ「整形手術は良くない」と言ったのか 年齢差は13才。世代は違うが、樹木さんは浅田にとって《お芝居の師であり、同志であり、姉や母のような存在》(『ひとりじめ』より。以下同)だった。一緒に映画を見に出かけると、帰りがけに食事をしながら批評会が始まる。互いに“役者論”をぶつけ合うこともあれば、仕事から全く離れ、リゾート地を共に旅することもあった。《「まあ、私たちが友達っていうのは、お互いにお得だよね。だって、美代ちゃんは天然ボケのイメージで通ってるけど、私みたいにシニカルで理屈っぽい女が友達にいるなら、『浅田美代子にも賢い一面もあるんだな』って世間様に思ってもらえそうじゃない?   私も私で、面倒臭い女のイメージで通ってるけど、美代ちゃんみたいな子と仲良いなら実は優しい人って思ってもらえそうだし」》 樹木さんは、2人の親しさを、こんなふうに語っていた。 2人の会話は多岐にわたった。ワイドショーや映画はかっこうの“ネタ”。いつも“人間観察”のやりとりが繰り広げられていたという。 ある日の朝、樹木さんから突然電話がかかってきた。受話器を取ると開口一番、テレビを見ろと言う。言われたとおりにチャンネルを合わせると、そこには有名女優。「あの子やったわね」──その女優が整形手術をしたと樹木さんはほくそ笑む。 特に女優の“整形ネタ”が大好きだったという樹木さんだが、興味本位ではない。そこには樹木さんなりの「役者論」があったのだ。《希林さんは、整形そのものを否定していたわけではない。「役者が整形すること」に反対していただけだ。主婦でも美魔女でも、役者でないのであれば、各々の価値基準にしたがって、いくらでも顔や体をいじればいい。だけど、様々な人間を、様々な人生を演じる役者を生業とするならば、「整形は良くない」と何度も話していた》 さらに、こうも話していたという。《整形したら、整形した人の役しかできなくなっちゃうよね。市井を生きている人を演じても、嘘っぽくなってしまうじゃない。この仕事をしながらも、その役を生きることよりも、自分が美しく見られたいから整形するだなんて、私にはさっぱり理解できないよ》 役者としての生き様を諭されていた浅田だが、実は彼女には鏡を見るのが憂鬱だった時期がある。50才を超え、自分が老いていくことを実感しはじめた頃だった。 その悩みを見透かしたかのように、樹木さんはこんなふうに問いかけた。《「何で私には役のオファーが絶えないんだと思う?」》 存在感、生き方、演技力……答えはいくつも浮かぶが、樹木さんの分析は違った。《私がちゃんと歳をとっているから。日本にはいくつになってもその歳に見えない美人女優さんが多いでしょう。でも私は、年相応のおばあちゃんに見えるおばあちゃんだからおばあちゃん役はみーんな私のところに来るの(中略)人間って、経年とともに変化していくから面白いんだよね。若い頃の美しさに固執している人は面白くないし、50歳を過ぎたら50歳を過ぎたなりの、60歳を過ぎたら60歳を過ぎたなりの、何かいい意味での人間の美しさっていうのがあると思う》※女性セブン2021年9月23日号
2021.09.12 07:00
女性セブン
浅田美代子が語る樹木希林さんの役作り「かっこよくてパンクでした」
浅田美代子が語る樹木希林さんの役作り「かっこよくてパンクでした」
 昭和49年に放送が始まり、スペシャル版も含めると約30年にわたって放送されたホームドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)。寺内一家のお手伝いさん、ミヨコ役を演じた女優の浅田美代子(65才)は当時をこう振り返る。「休憩時間はみんなで一緒にお弁当を食べながら、試写を見るんです。私はいつも、“おばあちゃん”の隣。亜星さん、とん平さん、バンジュンさん、由利徹さんたち4人組の掛け合いが始まると、みんな大爆笑。私にとって大切な、思い入れのある作品です」 寺内一家の頑固おやじ・貫太郎を演じた小林亜星さん(享年88)が、5月30日に心不全で息を引き取ったが、今でもその姿が目に焼き付いている人は多いはずだ。「放送時は生まれてもいなかった平成生まれの人たちも、再放送を見て笑ったり泣いたりしたと言ってくれる人が多い。40年以上たっても色あせず、古くさいと感じずに楽しんでくれるのは何よりうれしいです。だからこそ、希林さんやヒデキに続いて、亜星さんも旅立ってしまって本当に寂しくて……」(浅田) 東京の下町で三代続く老舗の石材店を舞台に、人情味あふれる家族や隣人たちの姿を描いた『寺内貫太郎一家』。ドラマで描かれる家族全員でちゃぶ台を囲んでご飯を食べる姿は、いまでは失われた昭和の情景だ。時代を超えて愛される名作の魅力を、あらためて振り返りたい。幸せを演じられるのは不幸な人 平均視聴率31.3%。続編や舞台版も作られるほどの人気作品となった『寺内貫太郎一家』。その魅力のひとつは、華やかかつ個性的な出演陣だ。すでに作曲家として活躍していたが、俳優経験はなかった小林亜星さんを主演に、ベテラン女優の故・加藤治子さん、当時アイドルとして人気絶頂だった故・西城秀樹さん、デビュー間もない浅田美代子、故・樹木希林さんら豪華なメンバーがそろった。 このキャスティング、当時の人気者を集める意図かと思いきや、そうではない。長髪だった髪を丸刈り頭にして役作りに臨んだ亜星さんは生前、本誌・女性セブンのインタビューに「私生活が幸せでない人が集まっていた」と語っていた。「これは演出の故・久世光彦さんの持論なんだけれども、幸せな人を演じるのは不幸せな人がいい。例えば雑巾がけをしていてふと手を止めたときに幸せだなと感じる、という演技がうまいのは、男に振られてどうしようもないっていう人だというんです。 そう言われると、当時は加藤治子さんも離婚するかしないかの頃で、私も家に帰らなくなっちゃっている頃で、希林さんは彼氏(夫の故・内田裕也さん)とうまくいっていなかった。みんなひとつ抱えていたんだよね(笑い)。だからこそああいうホームドラマでいい演技ができたのかもしれんなぁって……」 コラムニストのペリー荻野さんは、「脇を固める俳優陣も魅力的だった」と話す。「リアルタイムでドラマにはまった世代です。近所の生花店や貫太郎とともに働く石工として一家に絡んでくる名脇役たちが印象的でした。演じていたのはコメディアンの由利徹さんと伴淳三郎さん、左とん平さん(以上・故人)。彼らの掛け合いはもはや“名人芸”。そこに歌や踊りが入る回もあり、毎週“今日は何を見せてもらえるんだろう”というワクワク感がありました」 芸達者な面々の中でとりわけ視聴者の度肝を抜いたのは、当時31才の希林さんが演じた、70才の「きんばあちゃん」だろう。「あの作品で樹木希林を知ったから、最初は本当のおばあちゃんかと思ってしまうくらい演技が上手だった。きんばあちゃんの部屋には大きな沢田研二のポスターが貼ってあって、毎回、眺めては“ジュリィ~”と叫んで悶えるシーンが印象に残っています」(60代女性) 現場に居合わせた浅田も、希林さんの役作りは印象深かったと語る。「お年寄りに見せるために、しわやシミを描いたり、かつらをつけたりするのは嫌だとおっしゃっていました。だから、眉毛と髪の前半分だけを白く染めて、アップでまとめて撮影していた姿が目に焼き付いています。そうするとグレーヘアに見えるんです。 デニムスカートをはいて前部分だけのグレーヘアで現場にやってくる希林さんは、本当にかっこよくてパンクでした。年齢が出やすい手や首は、手袋やスカーフで隠していました。徹底した役作りに大きな刺激を受けました」(浅田) 魅力的な演者とともに視聴者を惹きつけたのはその斬新な内容だ。ペリーさんが言う。「当時はテレビドラマの放映が始まって20年くらいたった頃。ちょうどドラマの“定型”が定まってきていて、ホームドラマといえば、家族はみんな仲よしで絵に描いたような幸せが定番になりつつありました。だけど貫太郎は、ギャグもあれば殴り合いのけんかもする。その一方で心の傷や人生の暗い部分も描かれています。これまでの定番を覆したところに、面白さがあるんです」 奥行きの深い面白さに、老若男女が夢中になった。「子供にすれば、大スターのヒデキを、太ったおじさんが投げ飛ばすから面白くてしかたがない。その横で、大人はドラマに漂う“陰”に引き込まれる。一見、ワンマンな貫太郎ですが、幼かった娘の足にけがをさせた後悔を抱えて生きている。きんばあちゃんは、奉公人だった過去があり、夫に先立たれて寂しい思いもしている。こうした登場人物が抱える苦しみは作中で解決することなく次週に先送りされる。 私たちの人生だって同じで、悩みや苦しみを抱えながらご飯を食べ、生活していかなければならない。大人になるほど違った味わい方ができることも大きな魅力でした」(ペリーさん) 脚本は『時間ですよ』(TBS系)、『あ・うん』(NHK)など数々の名作を生み出した故・向田邦子さんだ。「向田さんの脚本には“風情”があった。たとえばおかみさんと2人で洗濯物を取り込むシーンでは、台本のト書きに『2人でシーツの端を引っ張ってピッと伸ばしながらたたむ』と細かく描かれているんです。これだけで登場人物の暮らしぶりや性格がはっきりわかる。そうした丁寧さも、味わい深いドラマになった大きな理由だと思います」(浅田) 珠玉の脚本を映像に昇華させたのは、久世さんの演出だ。向田さんの妹・和子さんが振り返る。「世の中には男性と女性しかいませんが、そういうことを超えて“相性”ってありますでしょ。久世さんと姉はそういう相性がよかったんだと思います。 姉が亡くなった後、久世さんにお会いしたときにおっしゃった『お姉さんの脚本は本当に下手だった。でも、誰にも書けないようなドキッとする素晴らしいせりふを生み出すんだ』という言葉が忘れられません。姉も、久世さんこそが自分の書くつたない脚本を最大限に引き出してくれる人だと思っていたのだと思います。2人に共通していたのは、“自分たちが面白いと思うことをやりたい”という強い意志。そういった意味で、2人は“同志”だったのだと思います」(和子さん)※女性セブン2021年7月22日号
2021.07.12 16:00
女性セブン
「心に染み入る辞世の言葉」を、映画評論家の秋本鉄次氏が紹介 (C)伊丹プロダクション
心に染み入る映画の中の「辞世の言葉」『万引き家族』『大病人』ほか
 最後の別れを前にして、愛する人に伝えたい気持ちがある。名優たちのセリフには、演技を超えた万感の思いが込められている。銀幕で描かれた「心に染み入る辞世の言葉」を、映画評論家の秋本鉄次氏が紹介する。「死亡通知をくどくど書くな」『わが母の記』(2012年、松竹)より監督:原田眞人 出演:役所広司、樹木希林、宮崎あおい【あらすじ】小説家の伊上洪作(役所広司)は、父が死去したことから母・八重(樹木希林)を引き取る。幼少から離れて暮らしていたために疎遠だったが、生活を共にしていくなかで、母の愛に気づかされていく。「劇中で父の描写は少ないですが、これは父の最期の言葉でした。晩節を汚さないという意思に満ちた言葉として、洪作はきっと記憶の片隅にある威厳のある父の姿を思い起こしたはずです」(秋本氏)「アンタはいい奴だ」『大病人』(1993年、東宝)より監督・脚本:伊丹十三 出演:三國連太郎、津川雅彦、木内みどり【あらすじ】余命1年と宣告された俳優兼映画監督の向井(三國連太郎)は、動揺を抑えきれず自暴自棄になっていく。しかし、敵視していた医師の緒方(津川雅彦)と次第に打ち解け合い、やがて向井は自らの死に向き合っていく。「死を前にすると、醜いまでに生への渇望をあからさまにする人はいます。しかし、この作品では医師が患者と併走する仲間として描かれ、最期には患者が感謝の言葉を口にします。自分もこうありたいと思わせてくれます」(秋本氏)「よく見るとキレイだね。カオ」『万引き家族』(2018年、ギャガ)より監督・脚本:是枝裕和 出演:リリー・フランキー、安藤サクラ、樹木希林【あらすじ】祖母(樹木希林)の年金を頼りに暮らす一家。足りないものは万引きでまかなうほどの窮乏ぶりだが、なぜか一家に笑いは絶えない。しかし、ある事件をきっかけに、仲の良い家族の秘密が明るみに出ていく。「信代(安藤サクラ)の顔をまじまじと見て出てきた樹木希林さんのセリフです。余計な期待のない分、家族より血のつながらない相手の方がいい、というような希林さん流の考え方が、役ににじみ出ている気がします」(秋本氏)取材・文/小野雅彦※週刊ポスト2021年6月11日号
2021.06.05 16:00
週刊ポスト
高田明氏「自分の命を表現できるような死に方って偉い」
高田明氏「自分の命を表現できるような死に方って偉い」
 新型コロナは多くの人に「医療と死」を考えるきっかけを与えた。日本を含む先進諸国では、人はどのような医療を受けるか、あるいは受けないかを自分で決めることができる。しかし、感染症だけは別である。社会の安全を守るため、法律によって強制的に入院・治療させることができる。2021年2月には、それを拒否した者に過料を科すことができる改正感染症法が与野党の賛成で成立した。 もちろん、コロナにかかっても治療を拒否して死を選ぶという国民はほとんどいないだろう。しかし、入院はしたくない人、重篤な状態になったなら自宅に帰りたいと考える人、人工呼吸器はつけたくない人などはいるはずだ。もともと感染症法には行政が入院や治療を強制できる規定はあったが、これまで罰則がなかったのは、国民一人一人の自由と人権を尊重するためである。日本はそこから一歩、踏み込んだ。 国内ではまだ積極的安楽死は認められていないが、延命治療を拒否して自ら死を選ぶ消極的安楽死(尊厳死)は認められている。それが、コロナでは必ずしも認められない。家族にも会えない隔離病棟で、自分の治療方針を決めることを許されずに亡くなる患者の無念はいかばかりか。そうした悲劇が毎日どこかで起きているコロナ禍の日本で、『週刊ポスト』(6月7日発売号)は「安楽死」を特集している。延命治療を望まず4月に亡くなった脚本家の橋田寿賀子さん(享年95)を看取った女優・泉ピン子氏(73)のインタビューをはじめ、多くの著名人・論客が「医療と死」について語っている。その特集で「安楽死、尊厳死を選ぶかどうかは死期が近づいてみないとわからない」と率直に述べたのが、ジャパネットたかた創業者の高田明氏(72)である。常々「117歳まで生きる」と豪語している同氏に、改めて「理想的な死に方とは何か」を訊いた。 * * * 60代までは、死というものを身近に考えることはほとんどありませんでした。しかし、70代になり、周りの友人も何人も亡くなり、やっぱり身体の衰えというのも出てきますから、そういうことを考えなきゃいけないのかなと思うようになりました。 でも、まだまだ修行が足りなくて、人間の死ってなんだろうという答えは出ない。先日亡くなった橋田壽賀子さんが、いつも「安楽死で死にたい」とおっしゃってましたよね。それは橋田さんが90歳を過ぎてそういう感じ方をされるようになったのではないでしょうか。だから僕も今の歳で安楽死や尊厳死の答えを見つけるのは難しい。きっと、80、90と歳を重ねていくなかで何か見えてくるのでしょう。 死って自分だけのものじゃないですよね。周りの人にとっても自分の死は特別な意味がある。そう考えた時に、周りの人のために一日でも長く生きられるならそうしたいという考え方もあります。だから、絶対に尊厳死を選ぶと言っていても、実際はそうしない人は多いし、それでもいいと思うんです。 樹木希林さん(2018年没、享年75)の飄々とした生き方を見ても、先日がん治療のためにオーストラリアに渡った西郷輝彦さん(74)を見ても、やっぱりみんな偉いなあ、自分の命を人のために表現することができるのはすばらしいなあ、と思います。同じ病気で苦しんでいる人たちに自分の生きる姿を示すというのは、とても意味のあることですし、万が一の時にも、最後まで世のために尽くした生なんだろうと思います。 そういう生き方と最期を求めたくなるのは、やはり歳を重ねてきたから。でもまだ僕はそういう境地には行き着かない。今はまだ、尊厳死に対しても答えを出せる自分にはなれていません。だから、それを選ぶ人も選ばない人も否定できませんし、死ぬってことは周りに対する責任もあるのだから、最後の最後に自分が良いと思うほうを選べばいいんじゃないかと思っています。
2021.06.05 07:00
NEWSポストセブン
『大コメ騒動』室井滋の“おばばぶり”に樹木希林を見た
『大コメ騒動』室井滋の“おばばぶり”に樹木希林を見た
 井上真央主演の映画『大コメ騒動』が話題を集めている。特に、“清んさのおばば”を演じる室井滋(62才)の存在感が際立っている。コラムニストのペリー荻野さんが室井の演技について解説する。 * * * 先日公開された映画『大コメ騒動』は、第一次大戦の好景気に沸く1918(大正7)年、富山の小さな漁師町で米の急騰に怒ったおかか(女房)たちが「家族に腹いっぱい食べさせたい!」と起こした「米騒動」を痛快に描く。 監督は富山出身の『超高速!参勤交代』の本木克英。室井滋、立川志の輔、西村まさ彦、柴田理恵、左時枝など富山出身キャストも多数出演。米米CLUBが書き下ろした主題歌『愛を米て』も話題だ。 私も早速見た。いよいよ行動に出た大勢のおかかたちが、砂浜を走って米俵やそれを運び出す男たちに体当たりする。その先頭に立つのが、真っ黒に日焼けした主演の井上真央、すぐ後ろでしゃもじ片手にバシバシと戦っているのが鈴木砂羽、みんな縄は投げるわ、棒は振り回すわ、地元エキストラの女性たちも参加して、もう大変。個人的には「米騒動」については教科書に載っていたな~というくらいの知識で、これが「井戸端から社会を変えた」「日本史上初めて女性が起こした市民運動」と言われていることや、この騒動が新聞に「女一揆」と大きく報じられて全国に広まったということ、その結末も含めて、「そうだったのか」と驚くことばかりであった。 そんな中、私が注目したのは、室井滋のおばばぶりだ。室井が演じるのは、おかかたちのリーダーである“清んさのおばば”。おばばは、出稼ぎに出た夫を待ちながら毎日60キロ(!)もの米俵を担いで働くおかかたちに頼りにされる存在だ。米の値段を吊り上げる米屋にも堂々と苦情を言い放ち、大事な米の運び出し阻止のため、おかかたちと動く。合言葉は「コメを旅に出すなー!!」である。ぼーぼーの白髪頭にごつごつした日焼け顔、鋭い眼光にへの字口。なかなかに迫力があるおばばだ。 室井のおばばといえば、2007年の映画『ゲゲゲの鬼太郎』の砂かけ婆も印象深い。この映画も本木監督、井上真央出演作である。灰色の着物にどろーんとのびた白髪、目の周りには真っ黒いクマができた砂かけ婆、いざとなると爪の伸びた手から砂をかけて目つぶしする妖怪だ。だが、比べてみると砂かけ婆よりも清んさのおばばのほうがインパクトがある感じが。人間なのに…。資料によれば、幼いころ、家の近所に清んさのおばばに相当する人がいて、室井はその姿を見ただけで泣いていたらしい。おばばがリアルでイキイキして見えるのは、実体験があったからなのだ。 そして、このおばばっぷりを見て、私は樹木希林を思い出した。樹木希林が若いころから老け役をしたことはよく知られる。代表作のひとつ1974年の『寺内貫太郎一家』では主人公の貫太郎(小林亜星)の母きん役で孫の西城秀樹から「ばあちゃん」と呼ばれた。実際は30代に入ったばかりで、ぼさぼさ頭にシミの出た老けメイクに徹し、手の若さが映らないように手袋をしていた。そうして出来上がったばあちゃんは、わがままなことも言うが、時には人生の知恵とか鋭い人間観察力も見せる。ドラマの面白さの中心だった。 物語に厚みを出すおばばになれる俳優はとても少ない。室井滋は、エッセイやナレーションでも評価が高い。令和の名物おばば女優として、いろいろな場に出没してほしい。
2021.01.14 16:00
NEWSポストセブン
樹木希林さんも実践した「孫への贈与」、相続対策として注目集まる
樹木希林さんも実践した「孫への贈与」、相続対策として注目集まる
 新型コロナウイルスの影響で、相続対策について考え始める高齢者が増えているという。【表】終了間近の制度も!「相続対策として活用できる4つの制度」「志村けんさんや岡江久美子さんが感染し急逝されたことで、自分にも“もしものことがあったら”と考える人が増え、相談に来るケースも増えています」 そう話すのは相続対策を行う夢相続代表の曽根恵子さんだ。一般的に相続対策とは相続税の節税を指すことが多いという。「うちは相続税がかかるほどの財産はない」と思っている人も少なくないだろうが、2015年の民法改正で相続税の基礎控除額が大幅に変更され、相続税を支払う人は、2019年には全国で約12人に1人、東京都では約6人に1人まで、拡大している。「東京だけでなく、横浜や名古屋、大阪、京都、神戸、さらには福岡などの大都市圏に住んでいる人は油断禁物です。不動産や一定の金融資産を抱えていれば、相続税が発生する可能性があります。早めに対策をしておくことをおすすめします」(曽根さん・以下同) 相続といえば、被相続人が亡くなってから発生するものだが、それでは遅い。死ぬ前に相続対策を取るか取らないかで、支払う税額に大きな差がつくのだ。 なかでも注目したいのが、「孫への贈与」だ。実は2年前に亡くなった樹木希林さん(享年75)も孫への“贈与”を実践していた1人。樹木さんは合計10億円以上ともいわれる不動産を所有していたが、生前、「私が死んでも、夫に遺産は残さない」と宣言。残された不動産はこの宣言通り、娘の也哉子さん(44才)や娘婿の本木雅弘(54才)の名義に書き換えられたが、所有していた不動産の1つは、樹木さんが存命のうちに孫の伽羅(21才)の所有になっていた。「日本人全体の平均寿命が伸びたことで、遺産を相続する人が65才以上の高齢者というケースが増えています。これだと相続税を払って相続したものの、10年後にその人も亡くなり、再びその子が相続する際に相続税を払うという問題も現実的に起こっています。そこで一世代抜かして、孫に生前贈与する“相続対策”が注目されているのです。また、消費活動の盛んな孫世代に遺産が引き継がれるよう、孫への贈与が“お得”になる制度を国が用意しているんです」 配偶者と子供は民法で定められた相続人(法定相続人)となるが、孫は含まれない。そのため、さまざまな“抜け道”があるという。「孫相続」の賢いやり方を具体的に見ていこう。◆人数も用途も制限のない「暦年贈与」 生きている間に子供や孫に財産を渡すと、通常は贈与税が発生する。しかし、年110万円以内(基礎控除)なら非課税となる。この仕組みを活用するのが「暦年贈与」で、親子より祖父母と孫で行うと、メリットが大きいという。 暦年贈与は親子間でも可能だが、子は法定相続人にあたるため、相続時に過去3年以内に行われた贈与には相続税がかかる。しかし、孫は法定相続人にあたらないため、過去にさかのぼって課税対象とならないのだ。「孫が10人いてもそれぞれ110万円まで非課税で渡せます。贈与したお金の使用用途に制限はありません。何年でも繰り返し暦年贈与を行うことができます」 ただし、毎年、定期的に同額を贈与するのはNGだ。「『連年贈与(定期贈与)』とみなされ、基礎控除が初年分しか適用されなくなる可能性があります。贈与する月を不定期にし、金額も1年目は100万円、2年目は90万円にするなど計画的な贈与にしない工夫が必要です。 ほかにも注意点があります。贈与を受ける孫が自分名義の口座を持ち、自分で管理することです。孫が未成年で自分で管理できない場合は、贈与する側の祖父母ではなく親が管理しましょう」※女性セブン2020年10月22日号
2020.10.16 07:00
マネーポストWEB
(写真/AFLO)
樹木希林さん がん治療さえも楽しんだ「自分らしい生き方」
「がんっていうのはある意味素晴らしいもので、死ぬことに向き合わされるんです。大事な大事な命をいただいたということをしみじみと感じ、自分のことを自分でよく見極める、考え直すチャンスにしていただければ……」 9月15日、樹木希林さん(享年75)の三回忌を迎えた。生前、がんと共に生きながら、数多くの珠玉の言葉を残してくれた樹木さん。7月18日に自ら命を絶った三浦春馬さん(享年30)も、彼女の著書で出合った言葉に感銘を受けたと話している。新型コロナウイルスで気持ちがふさぎ込んでいた都内在住の女性もまた、自粛期間中に読んだ樹木さんの本に鼓舞されたと話す。「仕事も子育ても思うようにならず、落ち込んでばかり。でも、希林さんの本を読み返しているうちに、“焦ってもしょうがない”“この状況も楽しんでみよう”と思えるようになりました」(40代・会社員) 冒頭の言葉は樹木さんが、がん治療を受けていた「UMSオンコロジークリニック」(以下、UMS)の10周年記念パーティー(2016年11月)に出席した際のスピーチの一部だ。同クリニック院長で『世界初 からだに優しい高精度がん治療』(方丈社)の著書がある、植松稔さんが語る。「希林さんが病気と自分自身にずっと向き合ってきたからこそ生まれてきた言葉だと思います。パーティーには患者さんと、そのご家族ら300人ほどが集まっていましたが、希林さんのスピーチを誰もが真剣に聞き入っていました」 約10年間にわたって樹木さんの治療を担当した植松さんが、三回忌を機に樹木さんのがん闘病について告白した。カレンダー裏の「内田啓子 65才 老女」 2005年に乳がんが見つかり、乳がんとリンパ節の摘出手術を受けた樹木さんが、鹿児島県鹿児島市にあるUMSを訪れたのは、2008年5月。超音波検査でリンパ節に転移したがんが増大していることが判明した翌月のことだった。そのとき、植松さんの元に届いたのは、「内田啓子 65才 老女」と書かれた診察依頼の手紙だったという。「便箋ではなく、きれいに切られたカレンダーの裏に書かれていたんです。変わったかたなんだろうな……と思ってドキドキしていました。そして『はい、こんにちは』と言って、病院にいらっしゃったときに初めて、女優の樹木希林さんだったのか、とわかりました」(植松さん) 植松さんは病巣に放射線を立体的に当てる「三次元照射」の第一人者。呼吸によって位置が移動してしまう病巣にも対応できる「呼吸追跡照射装置」を開発した。2006年に鹿児島にUMSを設立し、放射線のピンポイント照射によるがん治療を続けている。「希林さんは、私の本を読んで放射線治療に興味を持ったようです。彼女の知り合いの医師に『紹介状を書きますよ』と言われたそうですが、『それは困る、やめてくれ』とおっしゃったそうです」(植松さん) 女優・樹木希林として特別扱いされたくない。「内田啓子」(樹木さんの本名)という「まっさらな自分」で病気と向き合いたい──そんな気持ちだったのだろう。実は娘の内田也哉子さん(44才)は、樹木さんががん宣告を受けたとき、こう明かされたという。「もう10年前からあったのよね、しこりが……」 なぜそんな大事なことを言わなかったのかと也哉子さんが聞くと、樹木さんはこともなげにこう答えたという。「だって、言ったってしょうがないじゃない。あなたもまだ子供だったし、手術してバタバタバタッと対処するのも嫌だから。見て見ぬふりして、どこまでいけるかっていうので10年きたのよ」 樹木さんは2005年の乳がん切除後に、不自由さを訴え続けていた。植松さんの「切らずにがんを消す」放射線治療の考え方は、彼女にとってしっくりくるものだった。植松さんが続ける。「最初に診察したとき、希林さんは『ステージ4』だとおっしゃっていましたが、手術の時点で乳がんそのものは小さくてステージ1でした。ただ、リンパ節転移がたくさんあったので、前の病院の医師に『いずれはステージ4になると思う』と説明されたのが頭に残っていたのでしょう。 ご本人は『転移は5か所ある』と言っていましたが、しばらくの間続けていたホルモン剤が効いたのか、はっきり見えていたのは2か所。『残りの3か所は小さすぎて、違うところに放射線を当ててしまうといけないから、やめておきましょう』と説明し、2か所にだけ放射線治療を施しました。正直に彼女の病状を説明し、話し合っていくなかで、ぼくのことを信用してくださったのかもしれません」(植松さん) その後の検査では異常がない状態が続いたが、2010年5月の検査で肋骨や副腎、リンパ節への新たな転移が見つかる。それからはピンポイント照射でがんを消し、またがんができてはそれを消し……の繰り返しになった。治療を存分に楽しんでいた がん治療というと、精神的にも肉体的にも苦しいというイメージを持つ人が大半だろう。だが、樹木さんは放射線治療のために鹿児島を訪れることを、存分に楽しんでいた。「いつもひとりで来て、1泊8000円の観光ホテルに宿泊。でも、ホテル側が気を使ってグレードの高い部屋を用意するので“なんだか申し訳ないわ”と話していました。ホテルからはタクシーか、30分に1本の市内バスで病院へ。バスに乗るときは帽子をかぶって、オーラを完全に消していましたね。病院での放射線治療は毎日30分弱なので、それ以外の時間は映画を見たり、本を読んだりして過ごしていたようです」(植松さん) 市街地に出かけることもしょっちゅうで、鹿児島市の有名観光スポットの大観覧車にも乗りに行っていたという。「観覧車に一緒に乗ったことはありませんけど(笑い)、希林さんは『食事に行きましょう』とクリニックのスタッフ全員を誘ってくださったりもしました。そのうち2人で時々お酒を飲んだりするようにもなりました。ぼくは患者さんとそういう交流をすることはないので、希林さんは数少ない友達のひとりになりました」(植松さん) 患者のなかには「鹿児島じゃなくて、東京で治療を受けられるようになればいいのに」と言う人もいたようだが、樹木さんの考えは反対だった。 「仕事を続けながら治療を受けられたら便利だっていう患者さんはたくさんいると思うけど、日常生活から離れることがとても大事なんだ、と。そこから離れることで、自分がいままでどうやって生きてきたのかを客観的に見直せる。だから“鹿児島にクリニックがあることが大事で、東京でやってはダメですよ”とも何度か言われました。簡単に治ってしまったら、命に対して感謝することもない。大事な大事な命なんだと、しみじみ感じてほしいともおっしゃっていました」(植松さん) 交流は鹿児島だけにとどまらなかった。植松さんが上京する際に時間を合わせて同じ飛行機に乗ったり、ザ・タイガースのコンサートを一緒に見に行ったこともあるという。2013年12月、「44年ぶりの再結成」と銘打って1か月間だけ復活した、ザ・タイガースのオリジナルメンバーによる武道館コンサートだ。「希林さんと内田裕也さん(享年79)が結婚するときの仲人が沢田研二さん(72才)だったから、ザ・タイガースのことは昔から好きだったみたい。コンサートが終わった後は、ザ・タイガースゆかりのイタリアンレストラン『キャンティ』で一緒にワインを飲みました」(植松さん) 樹木さんの治療中、植松さんは裕也さんとも会う予定があったという。「まだ希林さんが全然元気だった頃に、裕也さんが一緒に鹿児島に来て、ぼくに挨拶すると言っていたようで。予定の日も決まっていました。ところがその日に台風が来てしまって。実際には飛行機は飛んだんですが、裕也さんが“台風で危険だからやめよう”って。結局、会えずじまいでした」(植松さん) 樹木さんは植松さんに、裕也さんについてこんなふうに話していたという。「とんでもない人間なんだけど、なかに一筋ピュアなものがある。私はそれだけあれば充分なんです」 2017年1月、前年に見つかった骨への転移にピンポイント照射を受ける。これが樹木さんにとって最後の治療になった。「このときは10日間ぐらい治療を受けてもらいました。まだ治療の途中だったのですが、希林さんのお仕事がとても忙しかったので、一度東京に帰ることになったんです。私はもうちょっと治療を続けたかったので“また来てくださいね”とお話ししたんですが、“しばらく仕事をしてきます”とおっしゃって。次に来てくださったのは1年2か月後でした」(植松さん) この間、樹木さんは『モリのいる場所』『万引き家族』『日日是好日』『エリカ38』、そして遺作となった『命みじかし、恋せよ乙女』と、時間を惜しむように精力的に映画出演をこなした。そして2018年3月にPET-CT検査を受けたときには、がんが全身の骨という骨や臓器にも広がり、植松さんが治療できる状態ではなくなっていた。少しでもがんに効けばと、植松さんはホルモン剤を樹木さんの自宅に送ったが、樹木さんから返ってきたのは「ホルモン剤を使わないで様子を見ます」という言葉だった。 樹木さんが受けた放射線治療は、合わせて31か所。最後は東京の自宅で「子供や孫に自分の死ぬところを見せたい」と語り、それを体現した。 冒頭のスピーチを樹木さんはこう締めくくっている。「すごい病気になると、すごく面白いことが日常にあります。ですから、楽しんで面白がって。それで自分をよく見て、笑えるような私たちになっていきたいと思います」 植松さんは、10年にもおよんだ樹木さんとの治療を振り返り、最後にこう話した。「希林さんは治療に関しても、自分でこうすると決めたことに、非常に正直に生きていたと思います。常に自分の体と対話していた。人生、どうしても乗り越えられないことってありますよね。そんなときに、あるがままに受け入れていたのが希林さんでした。私も彼女から人としてたくさんのことを学びました。 特に印象深いのは『おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい』という彼女の言葉。私にとって、とてもしっくりくる言葉なので、時々思い返しながら日々患者さんの治療と向き合っています」(植松さん) 主治医によって明かされた、最期まで自分らしく生き抜いた樹木さんの姿。三回忌に、彼女の言葉を改めて噛みしめてみたい。※女性セブン2020年10月8日号
2020.09.27 07:00
女性セブン
全世代から支持を受け続ける樹木さんの言葉
樹木希林さん「子供の自殺防止活動」を始めた幼少期の記憶
 夏休み明けの9月1日。多くの子供にとっては待ちに待った新学期の始まりの日だが、子供の自殺が一年でいちばん多い日でもある。学校がつらい子供にとって、9月1日は地獄の始まりなのだ。2018年のこの日、樹木希林さん(享年75)は病室にいた。そして、涙を浮かべた目で窓の外を眺めながら、まるで誰かに語りかけるように、「死なないで、ね……どうか、生きてください……」 そう繰り返していたという。樹木さんが旅立つわずか2週間前のことだ。 そのささやきは、樹木さんが年を重ねてから始めたライフワークの一環から絞り出された言葉だ。 樹木さんは、俳優活動の傍らで若者の自殺を抑止する活動に共感し、死の直前まで、思いとどまらせようとする言葉を残し続けていた。 2014年には『不登校新聞』の単独取材を受け、翌2015年には『登校拒否・不登校を考える全国合宿』での基調講演会を開く。そのほか、さまざまなインタビューで、自殺を思いとどまらせる言葉を発信し続けてきた。『9月1日 母からのバトン』(ポプラ社)では、窓の外にいるまだ見ぬ誰かの命を守ろうとする母の姿を、娘の内田也哉子(44才)が振り返っている。《なぜそんなことをしているのか問いただすと、「今日は、学校に行けない子どもたちが大勢、自殺してしまう日なの」「もったいない、あまりに命がもったいない……」と、ひと言ひと言を絞り出すように教えてくれました》 樹木さんからは、どこか何事にも執着しない雰囲気が漂う。「がんになってよかった」「ひっそりと逝きたい」といった発言からも、自らの寿命にとらわれずに生き、悔いなく死ぬのが“樹木流”とすら思わせる。その飄々としながらも、達観した一つひとつの言葉に多くの人が感銘を受け、樹木さんの言葉をまとめた本は飛ぶように売れていった。 しかし、他人の命については「必要のない人なんていない」「無理して死なないでいい」と繰り返し、“生”に執着していた樹木さんの一面を知る人は多くはない。「樹木さんは、自らの幼少期に引きこもりだった時期があったり、孫がいじめられていたのを目の当たりにしたことがあったと話していました。おそらくその記憶が、子供の自殺防止活動をするきっかけになったのではないでしょうか」(全国紙記者)※女性セブン2020年9月24日・10月1日号
2020.09.11 07:00
女性セブン
三浦春馬
三浦春馬さん 自死の前に心揺れた「樹木希林さんの言葉」
 9月4日、三浦春馬さん(享年30)の四十九日にあたるこの日、亡くなるまでの経緯の詳細を所属事務所が公にした。そこには、三浦さんの死が“自死”であったこと、遺書はなく、思いが綴られたノートが部屋から見つかったこと、未公開作品の公開へ向けて調整が行われていることなどが明らかにされた。「来年、HuLuで配信される予定だったドラマ『ボーカリスト』では、歌手の夢を追う会社員として主演が決まっていましたが、撮影前だったため、“幻の主演作”となりました。公開が遅れている主演映画『天外者』、来年公開予定の映画『ブレイブ-群青戦記-』は公開の方向で調整されているようです。ドラマ『おカネの切れ目が恋のはじまり』(TBS系)も、撮影が済んでいる分はすべて、放送すると決まっています」(テレビ局関係者) こうして未公開の遺作を眺めるだけでも、三浦さんがさまざまな役を生きようとしていたことがよくわかる。それが、子供の頃から芸能活動をしてきた三浦さんの生きがいでもあった。高校生の頃に、親しい親族に仕事は楽しいのかと聞かれた際には、ぽつんと一言、「いろんな人格になれるのが楽しいんだ」と答えている。 三浦さんはその言葉の通り、常に、演じること、役を生きることに正面から向き合ってきた。殺人を犯し、その罪に苦しむ役を演じるときは教会に通い詰めて牧師を質問攻めにし、ドラァグクイーンを演じる際には肉体改造を自ら進んで行うほどの熱の入れようだったのだ。 亡くなって間もなく放送されたNHKドラマ『太陽の子』でも、その姿勢を貫いた。原爆の開発をテーマにしたこの作品で三浦さんが演じた青年は、一時帰宅中に入水自殺を図り、最終的には戦場で帰らぬ人となる。「この撮影をしていた昨年秋、三浦さんは日記帳に、“散ることを見据えてどう過ごすべきか”という言葉の後に、“壮絶な体験を顔に出すこと無く、作った笑顔で日々を過ごすべきか。苦悩する姿に自分を重ねている”と記していました」(捜査関係者) 自死を選んだ三浦さんと、死に場所を探すように戦地へ赴き、戦死した青年の姿を重ねると、この言葉はいっそう重みを増す。 さまざまな役になりきっている間、三浦さんは自分が三浦春馬であることを忘れることができた。役者仕事は三浦さんにとって自らの人生からの逃避の場でもあったのだ。「とにかく仕事が好きな男という印象でした。ただ、三浦さんが引き寄せていった役柄は、人生や命と向き合う青年の役が多かった。時には、難病を患った役に自ら名乗りを上げたこともありました。いろんな人生を演じていくうちに、彼自身の死生観と俳優業が切り離せないものになっているように見えた。役柄の悩みなのか自分自身が抱えている悩みなのか、境界線が曖昧になっている雰囲気もありましたね」(三浦さんの知人) 心に闇を抱える脱獄犯を演じた今年、俳優として何に興味があるかとのインタビューに、《変に思われるかもしれませんが、よりよく生きること》(『週刊女性』2020年1月1日号) と答えていたのも、役柄と自分自身の境界線の曖昧さゆえだったのかもしれない。 このインタビューで、三浦さんは樹木希林さん(享年75)の著書で出合ったという言葉を挙げている。《“しっかり人の痛みに触れるとか、誰かの思惑をしっかり考えてあげて、そこに寄り添ってあげるっていうことが役者には必要だ”ということが書かれていて》 2018年9月15日に亡くなり、この秋に三回忌を迎える樹木さんは、俳優活動の傍らで若者の自殺を抑止する活動に共感し、死の直前まで、思いとどまらせようとする言葉を残し続けていた。 三浦さんは、他人の命に向けた樹木さんの優しい言葉に触れていたのだろうか。その上で、それでも自死を選んだのなら、彼の心は想像を絶するほど揺れ動き、最後の選択を下したのかもしれない。精神科医の片田珠美氏が語る。「三浦さんのように前日まで普段と変わらない様子なのに突然……というかたは少なくないです。無理に励ましの言葉をかけるのではなく、寄り添ってあげることが何よりも大切ですね」 一線で活躍し続けた三浦さんと樹木さんは、共演作品が1本もない。四十九日を過ぎると、故人の魂は極楽浄土へいくという。そこで対面する三浦さんと樹木さんは、どんな初共演を果たすのだろうか。※女性セブン2020年9月24日・10月1日号
2020.09.10 07:00
女性セブン
ムロ
ムロツヨシ&黒木華、一つ屋根の下で「密な関係」
 都心の一等地にある雰囲気あるマンション。印象的な白壁や、年代物の新聞ボックスなどクラシックな印象を受ける。7月中旬、ゆるデニムにスニーカー、真っ青の傘を差した女性が、大粒の冷たい雨から逃げるように、そのマンションに駆け込んだ。女優の黒木華(30才)だ。 後を追うように、ビンテージの四駆を運転するムロツヨシ(44才)が同マンションへ入っていく──。「ムロさんは以前からお住まいですよ。そういえば、黒木さんはここ最近毎日のようにお見かけしますね。お2人とも本当に感じがいいんですよ」(近所の住人) ムロは現在ドラマの撮影で多忙な日々を送る。「現場のムードメーカーは、主演のムロさん。彼が現場を盛り上げてくれるので、チームワークは抜群です」 テレビ局関係者がそう語るのは、8月スタートのドラマ『親バカ青春白書』(日本テレビ系)の撮影現場のこと。主演のムロ演じる父親が、永野芽郁(20才)扮する娘を溺愛するあまり、娘と同じ大学に入学する…というホームコメディーだ。同作には、ムロの妻役として新垣結衣(32才)が1年8か月ぶりとなるドラマ出演を果たすことも話題になっている。「ムロさんのおかげでチーム一丸となって撮影は進んでいますが、撮影を終えると自宅に直帰しているようです。友人の多い人ですから以前は毎日のように会食があったようですが、最近はほとんどしないとか。自分がコロナにかかって周囲に迷惑をかけてはいけないからと、ステイホームを徹底しているんでしょう」(前出・テレビ局関係者) 直帰する自宅で待っているのが黒木なのか──。 ムロといえば男女問わない幅広い交遊関係で知られる。友人からの信頼は厚く、「めったに芸能界の人と食事をしない石田ゆり子さん(50才)とも2人で食事するほどの人たらし」(芸能関係者)で、小泉進次郎(39才)のお忍び結婚式でも親族以外で唯一招待された芸能人でもある。人気ドラマ『大恋愛』(2018年・TBS系)で共演した戸田恵梨香(31才)とも仲がよすぎて「本当につきあっているのでは」と噂になったほどだ。「実際には、7年前に木南晴夏(34才)さんとの交際が報じられて以来、恋人の噂は聞こえてきません。木南さんと交際していたときは、隠す様子もなく、堂々と手をつないで舞台を観劇に来ていました。木南さんとは別れた後も共演し、一昨年、彼女が玉木宏さん(40才)と結婚した際には、ツイッターに祝福メッセージもアップしていたので、あと腐れなくいい関係が続けられるタイプなんですよ」(前出・芸能関係者) そんなムロだからこそ「本気の恋の相手は誰なのか」「つかみどころがない」ともいわれてきた。 ムロと黒木の出会いは、5年前にさかのぼる。映画『幕が上がる』で初共演後、ドラマ『重版出来!』(TBS系)で共演し、仲を深めてきた。「ムロさんはテレビ番組でも『黒木さんは家に来る関係』と公言していますよ。仲のいい友人だと思います。ムロさんも黒木さんも演技力は折り紙付き。作品について深く話し合えるところもあるんでしょう」(前出・芸能関係者) 自宅に呼び出し、共に語り合う女友達──ムロならあり得る話のようだ。しかし、黒木の知人はこう明かす。「確かにもともと仲がいい。でも実は、黒木さん、4月にムロさんと同じマンションに引っ越したんです。コロナ渦中の引っ越しで驚きました」 自炊が得意なことでも知られるムロのインスタグラムには、自粛生活になってからさらに手料理の写真が増えた。「もともとムロさんは友人を呼んで手料理を振る舞う人。でも自粛生活中の食事の量がどうみてもひとり暮らしの量ではないときが見受けられる。誰かいるんだろうと噂になっていました。 一つ屋根の下であれば、コロナ禍でも最小限のリスクで行き来できますもんね。それもあってこのタイミングで引っ越したんでしょうか。黒木さんは酒豪なんですが『ムロさんと一緒だと何時間でも飲んでいられる』って言っていましたし、最近はもっぱら宅飲みなのかもしれません」(前出・テレビ局関係者) いま、ムロといちばん“密”な関係にいるのは黒木のようだ。2人をつないだのはコロナだけではない。樹木希林さん(享年75)だという。「実はこのマンションは生前樹木希林さんが所有していたマンションです。黒木さんは、樹木さんが亡くなる直前に映画『日々是好日』で共演していてとても感銘を受けていた。住んだのはたまたまのようですが、このマンションに運命的なものを感じたそうですよ」(前出・芸能関係者) 樹木さんに導かれて、2人は友人から特別な関係になったのだろうか。2人の関係について双方の事務所は「特にコメントはございません」と返答した。※女性セブン2020年7月30日・8月6日号
2020.07.17 07:00
女性セブン

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