吉川は先行研究に言及しつつ、分断された側に見られる一種の自足感も指摘している。統計を使った分析だけに説得力がある。しかし「現代日本は、学歴分断を言葉にすることをタブーと」している。それ故、用語にも表現にも気をつかう、というのである。
ところで、私には吉川のような計量社会学者にこそ調査研究してもらいたいテーマがある。
十年以上前から、新聞や雑誌に何度か書いてきた「暴走万葉仮名」だ。漢字の無理読みで付けた子供の名前のことで、暴走族の「夜露死苦」や「仏恥義理」と同系のものなので、そう名付けた。「今鹿(なうしか)」「雅龍(がーる)」「一二三(どれみ)」あたりはまだしも、偏(へん)の肉月の意味も理解せず、月光の意味で使った「胱(あかり、膀胱だよ)」「腥(すたあ、なまぐさだぞ)」「腟(らいと、月光の射す寝室?)」なんてのもあるらしい。
前回言及した森鴎外は長男を「於菟(おと)」と名付けた。ドイツ風の「オットー」を漢籍にある「於菟(虎の意味)」に当てた。寅年生まれだからである。これはもちろん暴走万葉仮名ではない。
暴走万葉仮名の子供は、名門幼稚園の入試でははねられるし、将来就職試験の時も同じ憂き目にあう。事件報道でも、暴走万葉仮名の子供や少年少女をよく見るような気がする。相関関係があるのかないのか、計量社会学者の出番だろう。しかも、自足感や世代継承の格好の証例にもなる。学歴分断社会化に警鐘を鳴らす重要な研究だと思うが、研究者もジャーナリストも何かを「忖度」している。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。
※週刊ポスト2018年7月13日号