「麻原死刑囚」と言った時も顔の左側だけが微妙にひきつったように歪む。それ以外にも執行に関する話題になると、一瞬だが顔の左側をひきつったように微妙に歪ませた。本音と建前が違う時、人の表情は左右非対称になると言われている。特に左側は要注意だ。感情を司る右脳の影響から、左側の方が微妙な表情が表れやすいのだという。
何度も「麻原」と呼び捨てにはするが、次の言葉が出てくるまでに一拍分の微妙な間が開く。「特段の思いはない」と言いながらも、そんな微妙な間から、何らかの思いや感情が心の中で動いているように思えてくる。答え終わると口元に力を入れて動かしたり、何度も口を開け閉めしていた。不安なのか、どこか落ち着かない感じなのだ。
そして、彼はなぜ今もまだ、松本死刑囚を「麻原」と呼ぶのだろうか?
話し方は淡々として感情がなく平板。どこかよそよそしく、感情を抑圧しているように感じられる。自分の感情が出てしまうことを恐れ、感情に飲み込まれないようにあえて淡々と話しているのか、もしくは記者たちに突っ込まれないように単調に話しているのか…? 表情も乏しく、まるで自分の気持ちや感情を表に出さず、心の中にため込んでいる「受動的攻撃者」のような印象さえ受ける。
善意の宗教者のように、静かに穏やかに丁寧に話す上祐氏なのだが、確証バイアスにひきずられているとわかっていても、その姿を素直に信じることはやはり難しかった。