ずっと一緒に練習を重ねてきた”同志”や”先輩””後輩”を自ら引きずり下ろして、そのイスに座る。そんな過酷な交代劇を冷徹にカメラは映し出します。凍った表情でお互いを見つめ合うメンバーのぎこちない姿は、毎回見ていて心が痛む光景でした。
ネットでも番組視聴者の声として
「あんな待遇差別になにか意味があるのだろうか」
「若い女性に残酷なサバイバルはつらいと思う。練習時間、宿泊施設、罪人ではないのだから、機会は平等に」
といった意見が渦巻きました。
『SIXTEEN』はリアリティ番組ではありますがが、JYPの練習生が実際に、これほど過酷な環境の日常を生きているわけではありません。「リアリズム(現実そのもの)」の描写ではなく、テレビを見ている視聴者に出演者が感じている葛藤をわかりやすく表現した、「リアリティ(現実を感じさせる)」TVの表現手法なわけです。
練習生たちも拙いなりに「表現者の卵」として、その「リアリティ」を伝える”仕事”に全力で挑みます。24時間をカメラで監視されるこの環境に入った段階で、彼らはもうプロとしての第一歩を踏み出していると言っても過言ではないでしょう。
◆餅ゴリ社長の慈愛と独裁
しかし『SIXTEEN』のユニークなところは、その過酷さだけではありません。番組は、司会のパク氏が提示するテーマミッションに沿って、メンバーはそれぞれの解釈で技能を披露していくのですが、例えば第一回のミッション「Are you a STAR?」。
「何をしても構わない。私に君たちのスター性を見せて欲しい」と告げるパク氏の謎の注文に対して、大半のメンバーは歌かダンスで応じますが、エプロン姿で登場、生春巻きづくりのお料理ショー形式で応じたサナの異次元回答や、お父さんに習ったテコンドーを披露したチョン・ソミ(途中脱落。後に同様の別番組『Produce101』ではトップで合格。「I.O.I.」センターとして活躍する)など、タレントとしての幅を魅せる表現でアピールする者もいました。
こうした十代少女のすっ飛んだ発想力をいなしながら、パク氏が語るミッションの意義は、自身が百戦錬磨のタレント人生を送ってきただけに説得力にあふれています。
「(芸能人にとって)大事なのは、自分がどんな人間か知ることだ。自分がなぜ特別な存在だと思うのか? どうして歌手になりたいのか? また何を人に見せたいのか? を自分自身に問いかける機会だと考えてください」
『SIXTEEN』が、奇をてらった人体実験的な残酷バラエティに堕することがなかったのは、パク氏や先輩のアドバイザーたちの、厳しいながらも、真摯な人生哲学が折々に語られ、決して人間味を失わなかったからでしょう。
最終回では、12人の最終候補を前に、パク氏は万感の思いをこめてこう語ります。
「なにより5ヶ月間にわたって16人が、歌手として人間として成長する姿を見るのが最も幸せだった。16人すべてに可能性がある。だからこの場所にいるはずなのです。 今回デビューできない人も落ち込まないで、頑張るきっかけにしてほしい」
しかし、競争は競争です。最終回のメンバー発表ではこんな大逆転も起きます。